“Ultra”stage 僕のヒーローアカデミアを観てきました

発表と申し込みが始まる頃合いでは私のTwitterアカウントのTLでは全く話題ではなかったので申し込んだ20枚全部当たったらどうしよう、通う?推し?推せ???とか考えていたんですが完全に杞憂でした。取れなかったわ!
でもどうしても観に行きたかった初日のチケットが手に入り本当に嬉しかったです。本人確認のない人気舞台サイコー!新作刀ステのバカヤローーーーー!

ざっくりと初日を観てきた感想を並べると…

◯思ってたより歌うし踊る
・岡本悠紀さんの歌唱が凄くて…上手い、最高。正直言って¥7800のこの舞台で観て良いのかしらこの歌唱力

・全員で歌唱の曲は迫力があるしヒロアカの雰囲気とマッチしてて…シンプルな曲でとても気持ちが盛り上がる曲が多かった

・2幕後半のデクくんのソロが胸を打つ

◯体育祭までやる
・B組は丸ごとオミット。好きな人には辛いだろうけど「上手く纏めたな」と言う感じ。物間くん一人出すだけでまた一つ描かなければならないドラマが増えてしまうから…体育祭までをやるからカットしたとはいえこの先の話を舞台でやるならB組は是非出て欲しい

・肝なエピソードは網羅されているんですが、原作での堀越耕平氏の圧倒的画力で表現・演出されていた部分がちょっと弱い感じ

・基本的にダイジェストでお届けされる

・ヒーロー志望ゆえクラスメイト全員自己顕示欲が強いので「クラス全員が学級委員長をやりたがる」エピソードが90%くらいカットされているけど飯田くんはちゃんと委員長になれた。よかったね

・魅力を描ききれていないキャラクターが多い、一人当たりの時間がどうしても足りない、説明が兎に角ないのである意味漫画的。お察しください、的なところがあり予習してきた方が楽しい…

・登場していないクラスメイトはストーリー上、綺麗に「存在していない」。キャラクター同士の会話などでは名前も出てこない(かと思ったら尾白くんはいた)

◯やおもも
・やおもものお腹とか脚とか本当に凄いお綺麗でした。近くで見たら大変優雅だった。19さい?!!?!

◯おちゃこ
カテコでお茶子が「お茶子のポーズ」を決めてて心の底から「お茶子がそこにいる」と感動した
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私は主演の田村心氏のデクくんが観たかったのでチケットを取ったのですが、心の底から満足しました。心くんだけに。
私は田村氏の現在のお仕事事情を指してデクくんみたい!などとは微塵も思っていないのですが、ご本人のビジュアルとか刀ミュの陸奥守吉行とかを思い起こすと「上手くやってくれそう」と、期待値高く観にいきました、最高でした。
期待してて良かった、期待してた通りのものが観られました。
この作品、思いの外歌って踊る演出されていたんですが私は田村氏のダンスも歌もそこそこ好きなので…それに単純に観ている最中、彼に「デクくん」というキャラクターを見ることが出来たその時間が最高の時間でした。2.5観劇は須らくこの感動を得たいものです。
2.5次元作品は、漫画キャラクターに血と骨と肉を与えた時にキャラクターはどう動くのか、その動きは漫画を読んでいた時に感じたキャラクターと一致するかが肝だと思ってるんですがそれをちゃんと得ることが出来ました。万歳オーイエ!
まぁでも何が一番良かったかっていうと普通に上手に芝居してたと思います。ストレスが無い。

このシーンが好きだから円盤予約しよう、と思ったのは爆豪vs轟シーンの後ろ(…なのか爆豪vs轟が前で起こっているのか) でのソロ歌唱から続くデクくんのコンテンポラーダンスのようなバレエのようなダンスのシーンです。とても凄くvery好きです。
デク君にセリフは無いのですが、円盤にせよライブビューイングにせよ、ここのシーンは上からなりなんなり、兎に角デクくん抜いて写して映像で記録残して貰いたいです。
このシーンのこのダンスを説明しろって言われるとこれを説明するだけの演劇的な知識も語彙も私には無いのですが、このシーンが本当に好きです。何故か凄く胸が熱くなる。どうか円盤に残してくれ…。

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私はヒロアカという漫画で第1話が最も好きなので、端折られたら席を立つくらいの気持ちで観に行ったんですが、OP含むダイジェストって感じでしたね。それでも観たいものは観ることができたので満足です(mt.レディがいないことだけがちょっと寂しい)。

時間の都合というか、「体育祭までやる」ということがすべての縛りになったのでしょう。1幕は特に駆け足でした。原作かアニメで流れを把握しておかないと置いてけぼりにされる場面が多々あったように思います。
ただ、私はヒロアカは第1話が兎に角大好きなので、1話さえやってくれたらそれでわりと満足してしまうというか、OPまで?海岸掃除が終わるまででここで一幕終わりです、と言われても受け入れるくらいでした。もうこの時点で物凄い満足度が高かったです。
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原作テキストの肝を押さえつつ、しかし確実に端折りつつ、ダンスと歌で見栄えを出して…「舞台にするとこうなるんだな」と嫌味なく受け取れましたヒロステ。舞台演劇の作り方なんて知らんけど。
そういえば、ハイキューを観劇させて頂いたことがあるのですが、その時は「ハイキューの舞台ってのはダンスバトルなんだな」と思ったんですがそれと似た感覚を冒頭のかっちゃんとデクくんが2人で踊ってるシーンとかで得ました。ハイキューと似た感じの舞台になるのかな?てその時点では薄らぼんやり思ってました。最終的に特に似てなかった。

ところで、結構褒めてるような気がするんですが、それでも「無理な人は無理だろうな」とも確かに思いました。
原作のファンでメディアミックス網羅しないと気が済まない方とかいたら出来るだけ楽しんで欲しいところではあるんですが、あくまで原作・アニメが好きで実写化にはヘイト溜まる・コスプレにしか見えないって方はわざわざ苦労してチケット取って観るまでしなくても大丈夫じゃないかと。
「ヒトがやるとこうです」「2.5時間に纏めるとこうです」というお約束みたいなのは心得てる方が観ていてストレスが無い仕上がりだったと思います。
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封神演義の時に死ぬほどコレがない!アレがない!だからつまらない!!というブログを書いたのですが…ヒロステで言うと、原作の堀越先生のあの絵だから表現できていた「迫力」に物足りなさがあるんじゃないかな〜と思います。ヒロアカはなんといっても「絵が上手い」漫画なので。

デクくんがヒーローを語る時とかに、吹き出しが「ブツブツ」になっている堀越先生の演出が好きなんですが、そういうところとか…
かと言ってそれをどうしろって言われると…ちゃんと「ブツブツ喋っていた」ので2.5d化として100点だと思っています。しかしながら漫画の「画」の演出として見ていた時とは乖離があるよね、気持ちの上でね。という話です。

入試の仮想ヴィランとかはCG丸出しな映像がスクリーンに投影されているんですが、立体感が無くて少しだけ臨場感が薄れました。このシーンの田村氏の芝居は最高なんですけどね。
舞台作品で映像を用いるのってなんだか少し現実に引き戻されてしまうので、私はあまり好きではありません。それっぽいデカイ塊か、あの高くて長い方の山車(とい言えばいいのか?)を置いておいてセリフで説明される方が…好みの話です。
2.5d化作品の中で2.0次元表現されると逆に3.0次元が浮き彫りになり過ぎて、2.5dじゃなくなってしまうような気がするんです。
この辺、デジモンは凄かったな(「金がかかっている!!」という感じが半端なかったです)(面白かったかは別です)

あ、一番最初のキャラクター紹介で「緑谷出久 <14>」「爆豪勝己<14>」の描き文字の再現が100点満点でした。漫画のまんまだった、画面が原作の通りでした。

ヒロステはクラスメイト揃ってないのですが、上手く纏めたな〜って100回くらい思いました。
ヒロアカは可愛い女子が魅力ですが葉隠さんも芦戸さんも耳郎さんもいない、私の好きな障子くんもいない、体育祭やるのに!…でも本当にちゃんと形は整っていました。「だからダメだった」に着地しない。
また、出演しているからと言って活躍があるかというとやはりキャラクターの魅力を描く為の一人当たりの時間はとても短かくて足りてない感じでした。
時間が足りないとは明々白々の中で、放電後ウェイしてる上鳴くんをちゃんと見られたのはとても嬉しかったです。でも「放電しすぎるとアホになる」という説明は無いので原作漫画を履修してないとわかりにくいかもしれないですね。
…峰田くんの個性はもっと凄さを伝わりやすく描いた方が良いんでは、とは思いました。個性の名前が「もぎもぎ」てちゃんと紹介はされるんですけど、もぎもぎ?てなるじゃないですか。…知ってればわかるけど、正直わかんないじゃん?!

好きなシーンの話をまたすると、
「お母さん違うんだ…あの時僕が言って欲しかったのは」のシーンは本当に泣いてしまうので…私はサイレントで泣いているので許して貰いたい。
デクくんが可愛い女子にキュンとするシーンは本当に照明が可愛く演出してくれるので漫画で見た通り可愛いです。2.5次元!ここは本当に可愛いかった!
体育祭での飯田くんの「僕は君に挑戦する」も、派手な演出がされているわけではないのですがココは原作の通りにカッコイイです。
私は北村諒氏のことを1ミリも信頼していないのですが、そのご尊顔はとても美しかったので出てくると双眼鏡で観てました。天がキタムラに何物か与えたとするなら筆頭は美貌だと思います。

確か、デクvs轟でデク君が負けて倒れたシーンだと思うんですが、綺麗に漫画みたいに倒れてたところが個人的にとても好きでした。なんか物凄く綺麗に倒れてた。席が遠くて聞こえなかっただけだとはわかっているんですが、サイレントにスムースにスルンと倒れた田村氏の演技に感動しました。1列目だったらサイレントではないのかも。それはそれでめちゃめちゃ羨ましい。
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「楽しく観てきました」という話でした。
私は陸奥守吉行過保護本丸を運営しているので、その執着の延長線上というか…田村氏を推しているわけではないのですが、万が一にも刀ミュの現場で

「ははぁん!さてはオメェ、ヒロステを知らねぇな?」

とか言われたら刺し違えてしまう!と思ったし、田村氏のデクくんがどうしても観たかったので観られて本当によかった!楽しかった!誰も刺さなくて済みます!

初日、缶バッジ一つだけ買ったらデクくんが出たので、お、推せ〜〜(今はベトナムvol.2を買うか悩んでる)でした。

◯東京前楽を観てきた
上記踏まえて、超楽しかったです。
初日〜前楽の一週間で何より楽曲が結構思い出しやすくて何度も「早く聴きたいな、観たいな」と思わせてくれました。
全員歌唱の歌は多分全然違うとは思うんですが、なんかハイスクールミュージカル!て感じ。
♪オーオオーオーオオ〜〜が聴きたいのでライヴュ行こうか、な?

廣野凌大氏のブログを読みました

https://ameblo.jp/rhasky-67/entry-12441058177.html

私はあまり廣野さんのご経歴は存じ上げないのですが、彼のブログの中で2.5次元作品の「役」を作り上げる時の大変興味深い事が、苛立つ言葉を並べて書いておられました。

「ただのキャラクター」という言葉があまりにもキャッチーで、パンチが強くてノックアウトされた感じです。
ご自身の演技について「キャラクターとしてではなく、人間としての財前光として」と表現されているんですがこの時点で既に、選んだ言葉のパワーと違和感が凄い。

2.5次元作品って「漫画やアニメのキャラクター(2.0次元)が3.0次元にいる。間をとって2.5次元」だと私は思っています。
なので、役を演じる俳優さんはその時、「3.0次元にいる(2.0次元の)キャラクター」なんです。
そこを先ず「キャラクターとしてではなく」と言われてしまうとじゃあ板の上でキャラクターと同じ格好をしているのは誰なの?何者なの?となってしまうわけです。

ここで廣野氏が言いたいことは無機物(生物に由来しない)ではなく有機物(生物に由来する)的なことを表現したかったのかなー、とか考えたんですが…
そんな浅い考察するのはブログ書いた本人に逆に失礼なのではと思い至り改めて素直な気持ちでブログを読むと、やはり「その暴力的な表現はなんなの?」となってしまうわけです。

「どれが正解なのかいまいち僕にもわからない」とも書いているんですが、極端なことをいうと彼自身がキャラクターであるならば役を演じている時、彼の全てが「正解」になるんです。観客側に「受け入れられない」という気持ちが生まれてしまっていたとしても。
キャラクター自身が「正解」がわからないとか軽々しく言ってくれるな。君が正解になるんだよ。

この「正解がわからない」という言葉を次のセンテンスで「人間に正解なんてあるんですかね?!」て繋げてしまうから「先ずキャラクターは人間ではない」というポイントでズレてしまった私は置いてけぼりを食らった上に「キャラクターに退化」という新たなパンチを浴びるのでもう本当にその言葉のチョイスが凄く耐え難い。

廣野氏にとっての「キャラクター」とは何を指しているんでしょうね。
そこに生命は無い、生命が無いから思考が無いみたいな感じで「キャラクター」という言葉を採用しているのでしょうか。
また浅い考察をしてしまった…いや考察っていうかあまりにも内容が暴力的だからちょっとでもマイルドにする為に「こう言いたいんだよね?」てしてるんだよ!退化ってなんだよ!!!

「僕は財前光を愛しているので、ただのキャラクターにしたくないし。。。」

「愛している」のに「ただのキャラクター」
廣野さんの愛した財前光は漫画のキャラクターの財前光ではないのではないか?みたいな。君は何を愛しているのか、わたしにはわからない。

この辺まで読んで一旦、ブログを閉じてしまったのでこの後大どんでん返しが書かれているといいなとおもいます。

揚げ足を取るつもりでこのエントリを書いてるところが大きいのですが、一応私は大人なので「君が言いたい事にはもっと別の表現があるではないか」としたいところです。
2.5次元作品の役作りに「自分なりの」を持ち込まれることを毛嫌いしている私が斜めに受け取りすぎたかもしれないですけど、廣野氏は長い公演お疲れ様でございました。5年後に渡邊オサムになっていたらまたコートで会おう。

映画刀剣乱舞を見ました

舞台挨拶回に会社をサボっていこうと思っていたのですがチケットが取れなかったので「早めに観に行きたい」とは思いつつ観に行く予定は決まっていない、しかしムビチケだけは手元にある。みたいな感じでした。たまたま初日の内に最寄りの映画館で観ました。

結果的に初日に観て良かったです。
もうさっさと言ってしまうと\\クリカラゴウだ!//のネタバレを喰らわなくてよかった。
「言えない〜>< 早く見てー」「あのキャラ…あ、まだ見てない人には言っちゃいけないヤツだった!」とか味わわなくて良かった。
君とはマリーゴールド(2018年のクソ舞)で遭ったな?という感じ。

映画の内容の話の前に、倶利伽羅江の話を済ませてしまおうと思うんですけど、もしもこれが推しの俳優の登用だったら嫌だっただろうな、て思いました。ここで好きになっても何を推せば良いのかわからないのがちょっと辛い。
原作実装されていないから愛そうにも偶像は存在せず、ネタバレ控える感じの空気で推しの演技も褒められず…あ、ツラ。
取り敢えず出演する事が決まった時点で「???:土屋神葉」とかにしといてくれていたら「太田基裕役かな?」とウィットに受け取って楽しみに出来た気もします。
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結論としては、私は普通に楽しく見ました。
なんか特撮(ニチアサ)の映画版みたいでした。
時間遡行軍が攻撃を受けるたびに体から火花散らして後退りとかしてたら更に趣深かったと思います。
ところどころのちょいダサCG映像とか、カメラワークとか靖子にゃん節って感じのシナリオとオチとか。
突然始まる紙芝居みたいな映像表現とか「その時歴史が動いた」って感じ。
私は刀剣乱舞という原作ゲームで遊んでいるし、刀ステを観てきたし、鈴木拡樹氏もその周りの俳優も「知っている」という前提が整っていたので「この界隈の作品の一つ」としていつも通り楽しみました。

この「いつも通り」という点が大事で。
何も知らずに観たらこの映画は面白かったかというと特別に誉めるほどは面白くは無いとも思いました。線引きは大事だと思う。
「特別に面白くは無いけど、憎むほど酷くもない」そういう邦画の一つだと思います。
刀剣乱舞(刀ステ寄り)を見たくて行くなら楽しい映画で、面白い邦画と聞いて行くと面白いのか面白くないのかもよくわからん、て感じかと思います。八嶋智人が出てた、てなりそう。

取り敢えず、私は楽しかったので楽しかったことの話とか書き残そうと思います。
私は考察とか全くしませんので、見てきた通りのことだけ書きます。
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「私は鈴木拡樹のファンです」と言ったらもう終わってしまう気もするんですが鈴木拡樹氏をたくさん大画面で見ることが出来て楽しかったです。
しかもこの姿(三日月宗近)の鈴木拡樹氏とはもう3年くらい付き合ってきたので見慣れているし、見慣れた鈴木氏を大画面で見られるんだから嬉しくて楽しい。安上がりなオンナです。
鈴木氏は「常に鈴木拡樹だと分かる」ところが魅力というか、言い方を変えるとどんな衣装もウィッグも殺してしまうタイプの俳優さんだと思います。
そこを演技のテクニックでそのキャラクター(役)としか思えなくさせるのがお上手で2.5d化の鑑のような俳優だと思ってます。
今回も「三日月宗近、めっちゃ顔が鈴木拡樹」と思ったんですが、芝居してる時は「めっちゃ三日月宗近の鈴木拡樹」と思ったのでこういう所が本当に好きです。
映画刀剣乱舞における鈴木拡樹氏の魅力で殺陣の話は他所で死ぬほどされてると思います、その通りです。殺陣も良い。生で観ると更なり。なのでまぁその話はいいや。
表情(の芝居)が、柔らかかと思えば鋭利にギラギラしていたり、傷ついている時は燻んでいたり、カメラが寄りになると鼻筋がスッとしてて素敵とかたくさん見ることが出来て楽しかった。
でも全部が嘘っぽい感じもあったりして、そういう所が鈴木拡樹氏の三日月宗近は好きです。胡散臭いのが良い。good。サイコー。

映画の話なんですが、こんなこと言うと台無しかもしれないんですが「三日月宗近を特別扱い」ってもうさすがにお腹いっぱいです。よくある、と言わざるを得ない。アイコンだから仕方ないか。
でももう本当にお腹一杯で三日月が思わせぶりなことをして周りがそれに振り回される展開自体には「またか」と禁じ得ません。

展開に沿うと本能寺への出陣で不動行光が光っていましたね。
でもこれ刷り込みが既に完了していてるから、というところが大きいと思います。
刀ステ初演でギャンギャン吠えて迷惑を掛けまくった不動行光を知っているから「不動くんのメンタルが心配」とか「不動くんが成長してる!」とか此方で勝手に緊張感を高まらせてしまうんですよね。凄く楽しかった。
椎名鯛造氏の芝居が上手いので「上手ェなぁ」てひたすら思いました。とにかく芝居が上手ェんだわー。不動行光の感情の機微を絶妙な表情で表現していると思います。身体能力も高くて見応える。

導入部分なので凄く集中して見てたんですが、どうしても「鈴木さん素敵」という気持ちが挟み込まれてしまって土足厳禁注意する鈴木さん素敵!とかお前達にはここを頼む鈴木さん素敵!とか信長の御前を失礼致す鈴木さん素敵!とかなっちゃう。

粗筋でいうと信長は本能寺で死ぬはずが死んでないー任務失敗か再出陣〜、という「せやな」みたいな展開が続くんで安心して見ることが出来るのが良いところですね。
鶯丸と三日月が内緒話をしているの聞いてしまった日本号には「折られる…?」くらい思ったんですがそんなことはなかった。
信長と光秀の下りでビックリしたのは馬が出てきた時ですね。その夜の山の中で馬。

三日月・山姥切(薬研・骨喰)・長谷部(日本号)にチームが分かれてからは、目的がはっきりしていて「わかりやすい」という点で長谷部チームの動きが見やすかったです。長谷部は素直に頑張ってる。
三日月は結局何をどうしたいのかわからないし、山姥切たちは自然光の眩しい河原でキャンプしてて全然慌ててないので呑気でわからん。
しかしこの呑気チーム、画が良い。
決して誤解されたくないので念押しするんですが、私は北村諒くんのファンではありません。
本当に人間性というか人格と素行とか「何も知りません」と常に言って触れたくない、そういう俳優さんとして位置付けています。実際何も知りませんけど。

ただ本当に顔面が良い。

ツラが良い男が自然光の下で白いワイシャツの襟元をはだけている、という状況が良い。
北村諒くんのファンでは決して無いということを絶対に誤解されたくないのですが、すごい画が良かった。画の良いシーンNo. 1だった。ファンにはならない。

ファッションに自信のない若手俳優の皆さんはワイシャツと黒いパンツで毎日を過ごして欲しい。いや、毎日とは言わない。舞台観に行って演者と写真撮る日だけは白いワイシャツと黒いパンツ一丁で出掛けてくれ。
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もう細かいシーンは薄らぼんやりしてきてしまったので思い出せる範囲で箇条書きします。

・秀吉
天下取れるかもって思ったら獲ったほうがいいよね。
私はこういうのを「裏切り」とは思えないです。
信長が生きてた頃には忠義を尽くしていたから厚い信頼を得ていたのだし。秀吉にとって信長は一度死んでそこで終わっていたんですな。そういう気概、嫌いじゃない。

・安土桃山城
天守閣まで上がったり降りたりって大変じゃないのかな、とアホみたいな雑念が拭えない自分が悔しい。

・重症の三日月
ついに真剣必殺してしまうのか?!(このついに、という感覚が既に刀ステに飼い慣らされたそれ)とワクワクしましたが全然暑くも本気にもならなかった。スローリーな画面にちょっと笑ってしまった。
一度折れてお守り発動、とかもなかった。折れる展開に期待しすぎている。

・三日月に投げられた回復アイテム
弊本丸には実装されていないあのピンクのドリンクはpopソーダのフルーツパンチだと思います。
幕内弁当を投げる、とか無理だったか。お弁当広げてたらきっとちゃんと手を合わせて「いただきます」て言うよね、鈴木拡樹宗近は。

・本丸襲撃
見たことあるやつ。
男士達は桜とともに湧いて出ることが多いんですが
なんで時間遡行軍はいつも物理的に空から降ってくるんでしょうね。

本当にどうでもいい話なのですが、弊本丸は2205年のマンションの一室という想定で運営しております。ドラえもんより未来の時代設定ですから。
馬とか畑仕事とか全部VRです。燭台切光忠の言う「料理」はレンチンです。
そういう本丸を想定しているので、舞台とか映画とかミュージカルとかで本丸がやたら日本家屋っぽい本丸で共通してるの不思議です。
それにしても取り敢えず本丸を地下に建設するとかすれば良いのにと思います。ポップ地下室とかあるでしょ?(ポップ地下室がわからない人は映画ドラえもんのび太と竜の騎士を見てね)
襲ってくれと言わんばかりに目立つの、良くないと思う。
でももしかしてリゾート開発跡地とかに本丸が建設されていたとするなら…ちょっとそれは愉快。

・大太刀を押し投げ飛ばす三日月
投げ飛ばされてきた大太刀のことしか思い出せないのですが鍔迫り合いとかありましたっけ?
一騎打ちみたいになった時はおお!と感嘆したんですけどその後高いところから落ちてきたシーンでは大太刀に「災難な…」と思いました。

審神者のペンダント
カラータイマー。弊本丸には支給されてないです。

審神者の代替わり
弊本丸はそんな制度導入しておりません。
ゲームが「あなたは〇〇人目のこの本丸の審神者…」と始まるタイプだったらまぁ普通に受け止めたんですけど聞いたこともない設定を話し始める鶯丸には「今なんておっしゃいました?」という気持ちが先に来てしまいました。

・本丸にいた刀ステと同じキャストの男士のカメオ出演
うすらぼんやりの画面でもわかる杉江大志氏に感動した。
うすらぼんやりなのに、絶対杉江氏の鯰尾だと確信が持てるのが凄い。そういうところが杉江氏の魅力だと思ってる。

・幼女審神者
この登場、靖子にゃんって感じ。
個人的にはダダ醒めるオチでした。なんで女児。
時間遡行軍と戦うために顕現してきた刀剣男士に「子守」をさせるのってどうなんですかね。
弊本丸だったら労働組合が立ち上がって訴えが起きそうです。
達磨を落とす長谷部を見るためのこの女児就任だとしたら仕方ない。
ただ、幼女を背負う鈴木拡樹氏に「実は結婚をしていて子供もいて最近の悩みは小学校選び」とか言われたら…あり得る!とか思いながら見ていました。

西川貴教
いっそ西川貴教のライブシーンに男士がいる、くらいのPV(ED)作ったらよかったのに。ていうかもう出演してしまえばいいのに。
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書くのに疲れてしまったんでもう終いにしようと思うんですが、ツイッターで見かけた「三谷幸喜脚本の刀剣乱舞」を私も見てみたいです。
題材的に仕方ないのかもしれないですが刀剣乱舞って「時代劇」が多いので食傷気味です。
殺陣は現場で見るので殺陣以外の芝居で楽しみたい。
あと本当に「万人が見て面白い作品」になって欲しい気持ちもあるので。

ムビチケが未使用なので、タイミングが合えばもう一回観に行きたいなと思います。

3rdテニミュ 四天宝寺(2018.12.20)を観た

東京の初日しか観ていないのでもう記憶も怪しいところですがテニミュ3rd四天宝寺公演への気持ちを纏めておこうと思います。

ダラダラどうでもいい話ばかりを書いてしまったので簡潔に3rdのことだけ先に纏めると

・2ndで卒業したキャストは二度と出ないと思ったしそうであって欲しかった

・2ndで演っていた役での彼が本当に好きだった。なんなら忍足謙也役で出てたら逆に最高にアガったかもしれない

・公演自体がそんなに面白くない。1回でガツっと掴まれるものは無かったからTSC更新せずに帰ってきた

・ていうかもうあんまり思い出せない、2回は観ないとダメだったかな?いや、1回で心掴んでよ、エンターテイメントのプロなんだから

以上です。

_ _ _ _テニミュ初めて物語もついでに書いておこうと思います_ _ _ _

私が初めてちゃんと観たテニミュ四天宝寺公演のBチームでした。「ちゃんと」というのは生で観劇したわけではなく、頭から終わりまでストーリーに即して公演を見た、という意味です。
それまでテニミュのイメージってニコニコ動画(β版)の空耳のイメージが強くて、DVDとか見せられてもいわゆる「空耳曲」を楽しんでました。カナダレモンとか。ドンダバデンデンヌケヌケドンとか。
キャッチーな歌だとバイバババイバイバイーキンーグホーンとかは知ってる、みたいな。

さておき、
ストーリーに即して見たんですけど、私この時点で原作のテニスの王子様四天宝寺戦のあたりが未読だったので「才気煥発の極み」とか「無我の境地」とかナニソレって感じでした。ナニソレ。
でも面白かったんです。
いやもう千歳の言ってることは一つも意味はわからないけど、一番普通の試合が展開されるS3とか…めっちゃ面白かった。
♪エクスタシーとかボソボソ始まる♪ゴーゴーフジのあたりとか普通に集中して見た。
不二くんの繰り出す「進化したトリプルカウンター」とか本当に全然意味がわからないけど切羽詰まる白石とかグングン追い詰めていく不二とか…
白石勝ったのに全然気持ちよく勝たせてくれない不二くんとか本当に面白かったな〜。
ボコボコにされるタカさんには、もうテニスやめて早く寿司屋の修行に入って欲しいと思ったな。あ、白菜の人だ!みたいなことを思いながら見ました。
♪君に誓おう〜いつでも精一杯、は本当に良い歌だ…テニミュキャストは須らくそうであってくれ。

まぁ日常生活の中で突然テニミュのDVD買って見るわけないので、誘われた2nd四天宝寺公演への予習みたいな所だったんです。初めてテニミュを生で観るし誘って頂いたのが嬉しかったので万全で臨む気概が有った、この頃は。

初めてテニミュを生で観た感想は今でも忘れないんですけど「あ、DVDとは違うんだな」です。

白石のエクスタシーは歌い難そうだし、なんかたくさんあちこちで動いてて観るのが忙しい、という感じでした。
手塚くんがカーテンコールでニコっと笑った時は、その昔生田斗真の舞台を観に行った時に生の生田斗真から放たれるキラメキが凄かったことを思い出しました。多和田秀弥(任益)は本当にキラっキラしていた…。

でも正直言ってこの時点ではDVDの方が見やすくて、特別にハマるわけでもなく普通に楽しんで帰宅しました。楽しかったのでブロマイドはチームセットで買った。

しかしながら、この後の凱旋公演で私の内なのか公演自体なのかナニカが変わってめちゃめちゃ楽しくなってしまって1回しか入る予定がなかったはずなのに当日券買ってて5.6回入ってた。当日にチケットが買えたところが大きい。

公演の曲が耳馴染みして曲単体に対して「楽しい!」と思えるようになって、幕間の日替わりやベンチワークも見るようになってまた楽しくなって何度見ても楽しかった。
中でも、碕理人氏の忍足謙也が好きでテニミュ卒業後も「推し俳優」として舞台に通ったりするようになりました。楽しかったな〜〜〜〜ぼんやり降りてしまったけど。

2nd四天宝寺公演は千秋楽幕間が語り継ぎたいような口を閉ざしたいような幕間でもう忘れたい。あれさえ無ければ…やっぱり忘れられない。
死ぬほど楽しく気持ちよく公演期間を過ごしたので本当に思い出としては美しいです。

行ける時、行きたい時に劇場に行ってチケットを買って観るって本当になんて健全で文化的な行為なんでしょうね。全ての観劇がそうなればいいのになー〜〜。

私の初めてのテニミュはこんな感じでした。
本当に楽しかった。
_ _ _ _ _
四天宝寺公演ってその前後が重たいというか、
前門の虎「リベンジに燃える氷帝公演」
後門の狼「リベンジに燃える立海公演」の間のいい意味での箸休め的な楽しい公演だと私は思っています。

だから3rdテニミュの公演が進んで行く中でいつも「きっと四天宝寺は楽しい」と思ってました。きっと好きになる。全然2ndの方が好きだったとしてもきっと3rdの四天宝寺公演も楽しいだろう、と思ってました。

最初に四天宝寺公演に不安を覚えたのはその直前の氷帝公演だったと思います。
これはもう完全にdisなんですが、3rd氷帝公演は本当にこれが完成品なのか?と思うくらい全然面白くなかったです。何が面白くないとかではなくて全然面白くなかった。 ヒヤリともしなければ熱も感じない。

センテンス毎に「こなされていく」というか、「やったよ、終わったよ」と感じました。面白くないじゃん?
あ、忍足侑士が歌が心配な感じで「歌の下手な忍足侑士」という点がちょっと楽しかったです。そういうのが個人的に響くツボなんです。
…他に何かありましたでしょうか。あ、比嘉が東京湾を船漕いでた。いやでもコレが面白かったって話なら比嘉公演のバイキングホーンで船が出てきた時の乗組員の立海もめちゃめちゃキャッチーで面白かった。
でもそこを公演の中で面白かった点に挙げるとか切ない話じゃないですか。

そういえば、この時は青学10代目の初めての公演でしたね。
菊丸先輩がキャラクターの中では一番好きなのですが、10代目の菊丸英二は凄い小さい菊丸先輩で私の中の菊丸英二像と余りに乖離していて大石と並んだり手塚と並んだりするともうポプテピピックのポプ子ちゃんサイズにしか見えなくてポプテピピ丸先輩が嫌で嫌で導線上にいる時に視界に入れないように視線をズラす始末でした。なんだもう本当に辛いな。
全国氷帝と言えばゴールデンペアの試合が最高にアツい試合なのでその公演で「菊丸先輩が小さい」とイライラしながら見るのは苦痛でした。見るたびに「小さい」と思ってしまうんです、隣にいつも大石がいるから。goodシーンなのに楽しめない。地獄かな。

全国氷帝は2ndが好きです。観やすい。
手塚の♪自問自答がとても好きなのですが3rdの手塚の自問自答シーンはなぜあんなにダルいシーンにしてしまったんですかね…「あの子」で表現してた2ndは上手かったなって思います。

全国氷帝って基本的に見て疲れるぐらい面白い公演だと思っていたので「もしかして私は3rd全国氷帝を観ていないのでは?」とさえ疑う、70%かと思っていたら40%か30%か、みたいな曖昧さ。
四天宝寺公演がつまらなかったらどうしよう、という不安のタネは有ったんですな。

_ _ _ _全然3rdの話が始まらない_ _ _ _

一番初めに3rd四天宝寺にケチがついて、そのままずっとソレが一番嫌だったというのが「渡邊オサム役 碕理人」です。
私は心の底から嫌でした。
もう本当に「どうして?」という気持ちが観た後も晴れませんでした。
何がそんなに嫌なのかと言われると2014年にドリライで卒業した筈で、その時「もう二度と彼はテニミュの板の上に立つことは無い。寂しいけれど、今までありがとう」という気持ちで卒業を祝ったり?惜しんだりしたのに。

解せぬとしか言いようがない。

私のテニミュの渡邊オサムの印象は前任の君沢ユウキ氏+2nd四天メンバーが千秋楽幕間で見せたソレそのものです。ほんと〜〜〜〜〜〜〜〜〜っに大嫌い。
その役を推していた俳優が演る。なんでよ。

解せぬとしか言いようがない。

あと、2ndの時の「四天宝寺だけ保護者がいる」のはなんかちょっとダサいなぁと思っていたのになんでそれを推していた俳優がわざわざ出戻って演るってことになったのか。

解せぬとしか言いようがない。

私は、当時の碕理人氏は忍足謙也を「かっこいい」と思って格好良く演じてくれていたと思っています。
俳優ご本人は緩いところ甘いところ有るという印象なんですが少なくとも忍足謙也を演じている際に忍足謙也が格好良いと思わせるように芝居をしてくれていたと思います。良い意味で役の時は格好をつけてくれていた。
「推していた」ということは現在は推していないので発言権は無いわけですがうるさい、嫌なものは嫌なんだ!碕氏じゃなくて安西氏か杉江氏にオサム役代わって貰いたかった。ずっと「嘘ぴょん」って言って欲しかった。本当に碕理人氏は一つも悪く無いけど嫌だった。

ずっと忍足謙也役でいて欲しかった。

まぁでも本当に心の底から嫌だったので絶対に東京の初日に入りたいと思えたのは良かった。入りたいというポジティブな気持ちは大事だと思う。

全然関係ない話するんですが、私は初日が好きです。
処女厨」に例えて笑って話してしまうのですが、過去に公演中に観客のレスポンスを受けて芝居が変化してしまって(それ自体はよくあることなんで舞台観劇の醍醐味なんですが)、一人の俳優が舞台のワンシーンを私物化しだして、板の上に役付きで立っているのに俳優本人として話し出す時間が延びていってしまったことがあって。そのシーンは劇場では観客からのレスポンスも良かったです。でも私と隣の席の友人がその俳優の様に怒りを覚えたのも事実です。
もうあんなもの二度と観たくありません。観客のレスポンスを受けて変わっていったシーンなので確実に見なくて済むのは初日だけなんだということでもあります。
それ以来、「稽古場で「これが完成形だ」と作り上げてきたものを観たい」という気持ちが強くなりました。
作り手が「これがおもしろい!完成した!」と一度は判断したものを見るのは大事だと思ってます。

_ _ _ _やっと初日の感想だよ!_ _ _ _
3rd四天宝寺の感想ですが、
「友達と観たからとても楽しかった」です。

私はクソミソにつまらない芝居を観ても「一緒に友達と観た時間」という点が楽しいなら基本的に楽しい思い出になる人間なので初日楽しかったです。
でもそれは「友人と芝居を鑑賞する」という文化的な行為がその日の「楽しい」の一番であって「芝居の内容」という点で言うとなんか特に面白いことは無かったかな、という感じです。
千歳が南米でサッカーをやっていそうな雰囲気の俳優さんだったことは覚えています。

橘vs千歳って、千歳が唯一四天宝寺に貢献している試合なので好きです。もしかして何度も何度も繰り返し観ていたら3rdでも好きになれたかもしれない。

青学vs四天宝寺で言うと
白石のエクスタシーが「残ってて良かったね」という気持ちですね。いつか刷新されてしまうだろうなとは思っていますが残ってたらそれはそれでやっぱり嬉しい。

四天宝寺公演のダブルス2ってテニミュ2.5次元だから持てる「実体」の魅力を最大限を見せることが出来る試合で本当に楽しいですね。小春っていつもデキる人が演るイメージあります。あの二人にだけ場を任せれば良いのに、と思いました。
時事ネタも織り込みやすいし可愛いな、て思いました。でも好きかっていうと2ndの方が好きだった。
私は杉江大志氏の一氏と福島海太氏の小春のペアのことを凄く好きだったんだなぁと今更思いました。

過去の公演では死んでこい河村って何度も何度も繰り返し言っていた気がしていた亜久津くんがあんまり死んでこいって言わなくなった気がします。時代かな。

ところで私はこの試合でタカさんが「何にも取り柄のない俺」「日本一のパワープレーヤーを目指すことに」の流れにいつも悲しくなります。
なんでそんなに傷ついてまでパワーで戦わなきゃならないのか。タカさんだってまだ1年生なんだからこれからの練習でテクニックとか培えたかもしれないじゃないの。同級生からの「タカさんと言えばパワーだよね」のせいだと思ってます。そんな簡単に方向性定めないで!若者の可能性は無限大だよ!
あんなに傷つくならパワープレーヤーなんて目指さないで欲しいしすぐにテニス部辞めてって私が母親なら泣いて縋るレベルです。タカさんはいつも傷付き過ぎる。
でもだからこそ、ここはいつも「やめてー!もうやめてー!」て血糊まみれのタカさんに臨場感を持って観ることができるので好きです。暗くなるしそこそこ疲れてきているので眠たくなることが多いのですがそれは許して欲しい。

忍足謙也の役割ってこんな感じだったけ?
こんな印象だったかなー???て感じ。

千歳って四天宝寺にとって本当に酷いヤツですよね。
テニスの上手い転校生だったことが四天宝寺にはプラスでもありマイナスでもあった。あの学校は学校として勝ちたくて頑張ってる学校だからプラスなんだろうけど、千歳はあまりにも勝利への渇望を無下にし過ぎる。
四天宝寺が勝つために、最後になるかもしれない試合を「お膳立てしておいた」の一言で千歳と代われる忍足謙也の勝利への渇望は自己犠牲とかではなく、より一層強く勝利を望んでいるから出来る冷静沈着ばってん情熱的なテニスしてるというか、勝利への戦略だと思ってるし思わせて貰った。
この辺り、碕理人氏の忍足謙也は格好良かったなぁ。

_ _ _ _追記だよ!_ _ _ _
嫌だったことを思い出したので書くのですが、私は碕氏演じる渡邊オサムに「若い」とただひたすらに思いました。中学生を演じていた頃の彼の印象があまりにも強かったのかもしれませんが若くて、なんていうか四天宝寺に「大人」がいる感じがとても薄かった。
でも別に中学生が1人多いと感じたというわけではなくて。
「大人」がいるというよりは「大人役」がそこに居る以上のものではなかったという感じでした。
本当に君沢氏のことは何一つ褒めたく無いのが心情なのですが、君沢氏の演じる渡邊オサムはあの板の上で圧倒的に「大人」でした。
碕氏が「大人」を演じられていないというわけでは決して無いと思うのですが、私には2nd君沢ユウキの圧倒的な大人感の方がどうせ保護者がついててダサいならその方が良かった…とは言いたく無いけど。悔しい。
_ _ _ _追記終わりだよ!_ _ _ _ _


これは個人的な趣味の話ですが、私は基本的に「演出されたエモーション」に興が醒めるタイプです。
カテコで、たまたま自分の席の導線上で背中を合わせあう忍足謙也と渡邊オサムが作り上げられてて、別にそれ自体にはなんの違和感も無いんですけど、今回の「かつて忍足謙也を演じていた、現在は渡邊オサムを演じる碕理人」と「現役の忍足謙也」でそういう演出をされると、目に入った瞬間は(私は安上がりなオンナなので)アガるんですが、後から少しずつ氷点下にまで醒めて冷え込むんですよね。
何も意味の無いところに「これはエモ!エモい!エモーショナル!!」と勝手に意味を見出してアガるのは気持ちいいのですが、「(こういうの好きでしょ?)お膳立てしといたで」とやられると本当に食べる前から胸焼けって感じ。

ふわふわ曲でど真ん中で踊っているかつて推していた俳優には勿論感動したんですが「なんでどうして 今(3rd)なのか」という気持ちも燻るわけです。
2ndの時に不満が有ったわけでは無いけど、それでも忍足謙也の碕理人でそこに立っているのと、今時分に渡邊オサムで立っているのとでは全然気持ちが違うよ!なんか嫌だ!!

記憶が曖昧なので本当に公演の内容思い出せないですけど、思い出せないことも一つの結果だと思いますし、
何よりもテニミュに対して「もういいか」と結論付けてしまった公演でした。何が悪かったって言えば2nd墓場掘り起こされたことが悪かった。でもこれが杉江大志氏か安西慎太郎氏だったら普通に観れたと思うので単純に私の災難でした。

普通に3rdの四天宝寺を真っ白な状態で迎えたかったな。そんなに贅沢な望みだったとは思わないけど。叶わなかった今となっては5年後に四天宝寺公演を観に行きたいと思ってるといいな、て感じです。

しんどいから4thがあって過去キャスト掘り起こすなら竜崎スミレ:KIMERUにして欲しい、そしたらまたテニミュ観に行きたいと思います。

エーステ秋冬観てきました

アプリゲームA3!の舞台版、通称エーステ秋冬を観てきました。
私自身はそこまでゲームをやり込んでいないので、この作品のようにチケットの入手が楽では無い、原作人気が既に高い舞台を観劇する機会があるのは、ここが一番というファンの方には多少「すまない」という気持ちになります。
それくらい、エーステは2.5次元化作品として完成度が高い。ごめん、めっちゃ楽しかった。超楽しかった!次も観たい、超観たい。

私の思う2.5作品での「完成度が高い」というのはメイクやウィッグなどのビジュアルの再現度やシナリオの原文採用率では無くて「原作を読んで得た感動を今ここでもう一度得られたか」に依るのですが、エーステはその辺が本当に素晴らしいと思います。おい聞いてるか刀ステ悲伝。

秋冬を観てきた話がなかなか始まらなくて申し訳ない

もう100000回くらいしてる話ですが春夏公演の時に劇中劇のロミジュリで「♪ふたーりーさがーしだすのさーー」と僕らの絆が入った時は本当に心も体も震えました。感動でゾクゾクした。2.5次元だった。
劇中劇自体はミュージカル(では決してないけど)調になってたのでうまく表現したなぁ、と感心ばかりだったのですが、ここでの僕らの絆のサビの入り方は2.5史に残した方がいい、語り継いでいきたい。
エーステはここ最近の2.5次元作品の中では最も「2.5次元作品」としての魅力があるような気がします。
チケット枯渇問題が解消するといいのになぁ。

さて、秋冬の話なのですが
秋組、上手かったね。
芝居ができる、歌える…春夏組を「僕たち舞台俳優いちねんせい!」と表現するにしても秋組みんな上手いなって思いました。

秋組シナリオはキャラクター性故にステレオタイプ「実は良い奴なワルは良い」みたいな…ある意味万人受けというか、バッドボーイズポートレイト自体が本当に面白い。
秋組のメンバーって基本的に「素直な良い子」キャラクター性を持ってないので、こういう不良少年の「良い子」なところを見せるシナリオはスイカに塩振って甘いみたいなものだからめちゃめちゃ面白い。本当に面白い。
太一は別に不良少年ではないけど「愛されたい」という欲求は絶対に自分一人だけで叶える事が出来ないから純粋な欲求であればあるほど業が深いよね、カルマ背負ってるな高校生。
ヨーヨーのエピソードが削られたのは天馬が出てないせいなのでしょうか。でも天馬でやるべきエピだから仕方ない、て落とし所になる気もする。観たかったけどね、赤澤氏で。

♪質素倹約節制の歌は、♪早起きは三文の徳さんダヨーが好きな私には堪りませんでした。推しが面白い歌を歌ってる!アガりました。
古市左京さんのポートレイトがミュージカル調だったとは知りませんでした。2.5で知る左京さんのポートレイト、「自分の武器(魅力)を活かした演出してる!さすが左京さん!!」と凄く2.5次元である意味を持っていて感動しました。

そういえば春夏のように明らかに「千秋楽で起きた事件」にすることが出来ないのが秋組なので千秋楽芝居(語弊がある)が無さそうなのは良かったです。
千秋楽だけ「ズタズタにされた幸ちゃんの衣装について謝罪する」とか出来ないもんね。
秋組の公演中のエピソードで小道具の拳銃を忘れた(んだったっけ?抜かれてたんだっけ?)十座が手で拳銃を模す、というのが物凄く好きだったんですが削られてしまっていとちょっと寂しかったです。
私は演劇は舞台上に何も無くても「はーーー波が高い〜」てセリフ一つ言ったらそこは海、みたいなのが好きなので十座が手で拳銃を作って対処するのも客へ「銃だ」と思わせればそれは銃なので十座の演劇的な表現の成長を見ることができる気がして超好きなエピソードです。無かったけど。

いなせの膝から下が凄く細くてゴボウみたいだなって思いました。

七尾太一が凄く芝居が上手かった気がします。
ゲームの七尾太一から違和感なく3.0次元に居るから2.5次元みたいな。
「愛されたかった」の話はエピソードが削られてるせいで薄いといえば薄いんだけど、悲痛で観てて悲しい気持ちになる。
「七尾太一 泣ける」しか言えなくてごめん。
でも本当に泣けた、良かった、凄い上手かった、愛さずに居れない!愛せる!

ついでに私はサイレントで泣いてるから許して欲しい。
啜り泣き警察を名乗っておりますが、エーステ秋もそこそこ啜り泣き多かった。
凱旋の千秋楽はWOWOWで視聴出来るそうなので泣いてますアピールしたいどブスはWOWOW視聴をお勧めします。

春組のメンバーと夏組のメンバーの挿入の程度も公演時間に合ってる気がしました。モブが輝いてる。

そういえばエーステにおける「監督」の演出って偶に寒々しいけれど、ゲームをやった事があれば挿入具合が丁度いいというか絶妙に感じます。
「監督=観客の私自身」感はクドくなくて(語りかけられる導線上に常に座っていたら違うかもしれないけれど)、
劇場にいる分には寒さも本当に少ない。
存在がちゃんとあって(無かったことにされていない)それを憎からず観ることが出来ている、という意味でこの演出がわりと好きです。
LVやWOWOWで見たらもう少し醒めてしまうかもしれないけれど。

秋組の感想は秋組のメンバーが上手かったので「泣ける」とか「良かった」「上手かった」「画が良い」みたいな語彙力のカケラもない感じになってしまいます。でも凄い面白かった。1幕が降りた時点で乾涸びそうでした。

冬組の話なのですが、
私、冬組のストーリーを読まずに観劇に挑むことになりました…ランクが54なのです。
粗筋は…紬と丞が幼馴染で、喧嘩して仲直りする、みたいなことは知ってたんです!天使を憐れむ歌はゲーム内公演で読んでいたし。

冬組はキャスティングが発表された時点まで戻るんですけど、それまでエーステってわりと「あ、その人が演るの?!」みたいな絶妙なキャスティングだった気がするんです。
知らない人より知ってる人の方が多いだろうけど爆発的人気俳優ではない、みたいな。かといって話題性とか直近の出演舞台が人気作って俳優さんもいて…絶妙な采配だなーって思ってました。

そこに冬組のあのキャスティング。
もう素直にいっちゃうと山姥切国広おるやん、て感じでした。うわっチケット取れるのかなー?ヤダナーみたいな。
私、冬組は思い入れが一欠片も無くて本当に申し訳ないと思ってるところにこの人気俳優の登用は本当に「oh…my goodness」て感じでした。

友人が最近ご執心の俳優さんが出演されることになったのでエーステという楽しい作品を観てもらえる機会が生まれたのは大変嬉しかったです。
悲喜交々、愛憎相半ばエーステ。

観てきた話をすると荒牧氏の紬、よく知らない私では所々で「山姥切国広みたい(な芝居)だな」て思いました。
紬も溌剌としたキャラクターではない為かもしれないですが、これは荒牧氏の表現の技法なんだろうなって共通性を観て感じたという話です。

北園氏は脚が長くて登場してくるとつい足の先から股に向かって舐めるように見上げてしまいました。長いんだもの。
丞の表情が2パターンくらいしか無い表現はゲームまんまって感じで私は好きです。表情は差分って感じ。
あと私が見た日は喉強かった。

観てすぐに書かなかったのでだいぶ細かいところ忘れてしまったんですが、冬組のストーリーって芝居に関係ないところでの諍いが湿っぽくてそれが冬組の情緒なのかな、て思いました。メンバー同士秘密が多い儘で終わる、みたいな。

あとこれは個人的な気持ちなんですけど、誉は何も悪くないよね?みんなの気持ちを整理して代弁して共有してくれて…デキる男じゃん!と思いました。あれはダメなの?あの時のつむつむの「言っていいことと悪いことがある」が私にもさっぱりわからなくて有栖川誉何も悪くないのに、てまだ腑に落ちてません。

GOD座の芝居を観ることが出来たこと、ありがとうエーステ、ありがとう2.5次元って感じでした。
こういうの2.5次元で実体を持ってる意味があって好きです。
そして紬がGOD座に落ちた話「受けるところを間違えた」としか言いようがありませんでした。
紬の芝居のテイストってこういう感じじゃないでしょ?みたいな。観たこともない紬の芝居なのに既に説得力が凄い。そしてここでNo.1の俳優だった丞…わからない。

天使も憐れむ歌、「医者ヒデーーー」感が体感できて良かったです。ゲームだとテキストだものね。ヒデェ奴だよあの医者は…。

冬組読んでないけどアプリが2部続いてるんだからマンカイカンパニーが勝つんでしょ、という展開だけはお察ししていたのですがあんなにテイストの違う芝居見て劇団付きのファンから得票が出来るってマンカイカンパニー冬組も凄いけど客の民度も高い、さすがGOD座…とか書いてる途中で丞のファン票だったらめちゃめちゃ泣けてしまうなと思ってしまいました。

勝敗が決した後の左京さんの「おい、明細書もだ」みたいなところが凄く良かった。グッとキタ。

あとはレビューとか凄い楽しいなー最後まで楽しいなーエーステ〜〜て感じで語彙がない。本当に語彙がない。
あのメインテーマ聞くたびに物凄くテーマパークのアトラクションみたいだなって思います。ワクワクする、キラキラと輝いてる、キャラクターがそこに居て笑っている。2.5次元作品の魅力を最後まで伝えてくれるのがエーステ、物凄く高揚感を得られて観劇が楽しいです。

観ることが出来て本当に良かった。

チケットを取るのが本当に難しい作品とは思うんですが、現在の2.5次元舞台群雄割拠のこの時代で2.5次元作品を観たことがある人には一度は体験してほしい作品のNo.1は今エーステが担っていると思います。

春単独行きてぇなぁ!

ミュージカル封神演義を観劇しました閑話0113

〜常に追記します〜

本当に今はSNS時代で。
封神演義が連載している当時はこんなに簡単に世界中の情報が即時に手に入るような時代ではなかったので随分閉じられた世界で封神演義を楽しんでいたわけです。

私は先のブログ(まだ足りない)でも書いている通り、1幕の時点で本当に面白くなくて退屈さを感じるほどだったんで、これはきっと原作ファン(が今でも存在する時は覇窮封神演義の放送時に改めて知った)はみんな頭を抱えて「またか」てガッカリしていて、俳優さん達のファン達が現場を温めてくれてるんだ(ありがたい事だ)と、そういう温度感がバッサリ別れるものであったと思っていたのですが。

覇窮と同じようにエピソードがガリガリと削られていて、封神演義の魅力たる部分は失われてて、メディア化なんてやっぱり無理なんだ、という再確認になるだけの事だと本当に思ったんです、が。

好評の声が多くて本当にビックリしました。
「リスペクトを持って作られてるとこんなに面白くなる!」
「原作ファン大勝利!」
「アニメ化で心折れた人も期待して大丈夫!」

リスペクトはしてるだろうけれど結果は出せてない、原作ファンだけが辛酸を舐めただろうと思ってまだ最悪1回は観劇しなくてはならないと落ち込む私と真逆で本当に孤独を感じました。

私は本当に藤崎竜封神演義が大好きで、フジリューが描いた封神演義の面白かった部分は細かく話すと長くなり過ぎるので割愛しますけれども、最たるは「全てが繋がった物語である事」なんです。

どのエピソードも誰かの人生の時点で、太公望との出会いによって繋がって一つの大きなストーリーになっているのがたまらなく面白いというか。
これは伏線というのはちょっと違うような気がしていて、後の為に仄めかされているわけではなくて、ただその時点の事が語られてる+結果的に流れ続けた時間があるからそれもその時その時全員分は語れないから順番に説明されていく、みたいな手法だと思っていて。
(歴史の道標の時の、封神演義の背景にずっと描かれ続けていた「風化した巨大建造物」みたいなのが「伏線」だと思っています)

陳桐のエピソードで手に入れた火竜鏢が「武器を操るセンスがある」天化に渡り、武器を操るセンスがある天化だからvs魔家四将戦で「手にしたばかりの宝貝の鑚心釘」を使いこなして戦う(でも消耗は激しい!またピンチか?!みたいな緊張の展開)も、ここで語られる天化の「戦士としての強さへの危惧」が天化の最期にも説明つくというか…みたいな一つの取りこぼしも許されない綿密なエピソード群の集合!という感じでそれが魅力だったので。

武成王との出会いも王貴人も胡喜媚も薪売りも雷震子も二人の王太子も、その時のエピソードとして割愛出来ても、後で追って語ることはできるけどそこでそのエピソードが挿入されてしまうと説明の為に割く時間が長くなってセンテンスとして纏まりも時間経過によるエモーショナルも失われてしまうわけで…ただミュージカルで伯邑考サラッと流したの本当に上手だった、感動した。そう!そういう感じならば削られた名台詞や名シーンと対等!でも全編その流し方でやるならもうやらなくて良くない?てなってしまうほどサラッとやってくれてた。

やるならキッチリと原作の魅力を描いて欲しかった。
時間の制約があるのはわかってるし「人気キャラ」を出したいも理解できます。でもそれでも、それを許容出来るのと、それを許容して完成された作品を面白いと感じるのは全く別だと思ってる。

妲己っ♡喜媚のっ☆昼食!ばんざい!!はアニメでとても丁寧に作られていて「このエピソードは作りたいよね…」と、薪売りも陳桐も朝歌の薬屋を営んでいたおじさんのエピソードも削られて落ち込んでいた私の心を疲弊させました。つらたん。
でも「昼食!ばんざい!!」は作られるけど「押したり引いたりする必要がなくしかもオートマです」は削られる。どうしてなの…。

ミュージカル封神演義も、削られたエピソードが多くてしかもその削られてる箇所は20年経っても未だに色褪せない「封神演義の面白さ」の部分だったのでそれがガリガリ削られて穴あきのチーズみたいになっていて本当に見ていて「つまらない」と感じました。

私はあの大不評だった「覇窮 封神演義」も視聴していたのですが、あのアニメのダメだったところの主たる部分は「構成」でした。
なんていうか「作りたいエピソードから製作するし、出来上がったものから納品する」みたいなスタイルなのかと疑うほどのエピソードの「順番」の改変でしたね。
スパイの鄧蝉玉のエピソードをやっていないので玉鼎真人大活躍のvs孫天君の化血陣のエピソードは滑稽の極みって感じでしたね。本当に30分辛かった、何を見ているんだ?という気持ちになりましたね。
しかも鄧蝉玉はアニメには出ないのか、と気持ちの整理をつけようにもカメオ出演してくる鄧蝉玉。おまけに土行孫。金吒、木吒まで。
私が見逃してるだけでもしかして放送されてたのか?と疑うほどに構成が雑でめちゃくちゃな時系列でキャラクター毎のエピソードがどんどん消されて、それでいて都合に合わせてその時だけ絵としては描かれているせいで「あなたは誰なの?」という状態が最初から最後まで続くので覇窮封神演義は辛かったです。

ミュージカルでは綺麗にエピソードが削られているだけと言えば、それだけなのでまぁ覇窮のめちゃめちゃな構成よりはマシなのかも。いやでも二人の王太子が居ないことはもう無理じゃないですかね。方弼と方相が出てこないの、私には本当に「うわっこの封神演義つまんねー」て評する要素として十分だと思うんですけれども。
SNSで探したミュージカルの感想の中に「〇〇は出てこないので、〇〇のファンの人にはちょっと残念かな?」という感じのを見かけて、正直言って「その程度の認識」である事がショックでした。
その認識で封神演義を見てるならなんでも楽しいかもしれませんね。
その感想こそがファンを名乗っていても原作(フジリュー版)へのリスペクトはあんまり無いんだな、て思えてしまいました。

「哪吒を叩く殷氏」が物凄く納得できなくて不愉快であった、というブログを先に挙げているのですが、流石にこの「引っ叩く」追加は他の方も違和感をご指摘されていたようなのですが、
「息子を溺愛してて甘い殷氏が叩くのはおかしくないか?」というものでした。同じ原作を読んでいてもこんなに印象が違うのかとまた胸が苦しくなります。
殷氏は哪吒を深く愛していますが、親として甘いわけではありません。教育を与え、ダメな事にはダメと伝える。なにより感情のコントロールを失っていたとしてもコミュニーケーションを試みるしっかりとした「親」です。感じた違和感にも違いがあると知って本当に孤独な気持ちが加速します。

ミュージカルでの改変といえば、太公望妲己が仕掛けにくるシーンで妲己と喜媚の入れ替わりは「実際には起きていなかった」ことが私は本当重要だと思っていたんですが(太公望が馬鹿者になってしまうので)、ここを「うまく改変されていた!」と評する方もいて本当に驚きました。嘘だろって感じ。
あの改変によって太公望妲己の知略戦は失われてしまいました。もう殴った方が早いよ、知らんけど。

世間との感想の乖離が激し過ぎて私が観劇したミュージカル封神演義とは別のミュージカル封神演義がどこかでやってるんではないか?とも思うほどでした。

もう本当に私のブログやツイッタ〜で私が何をどう書こうが自由だと思うので言ってしまうのですが、ミュージカル絶賛してる人たちは「漫画読んだことある?」て感じです。

ミュージカル封神演義を観てきました〜哪吒のエピソード篇〜

まだ言いたいことがあるのか、って感じですけど悲しいかなまだまだある。
「楽しめないのは楽しむ才能がない」と他人にも自分にも思ってはいるのですが、 才能が無いことは悪いことではないので努力でカバーしたいところです。出来なかったけど。

掲題のここから感想を書いていく哪吒のエピソードのセンテンスはミュージカル 封神演義の中で最も原作漫画をテンポよく纏めていて、とても観やすく構成されていたと思います。テンポがとにかく良い。 削られてしまったところは言いたくないですが「仕方ない」で済ませられるところとして適切な判断だったと思います。

「瀬戸くんは2巻を読み直せ」「殷氏研究しなおせ」と名前付きでSNSで叫んだのですが 瀬戸くんにこの想いは届かないと思うので取り敢えず書いて気持ち整理しておこうと思います。
何度考えても「どうしてそうなったんだよ」と思ったので改めてミュージカル封神演義を哪吒のエピソードを中心に感想を書きます。

太公望は蠆盆事件を経た結果「仲間を集めなくては」目標を新たに設定します。 ストーリーが「仲間集め」にシフトしてから一番最初に出会うのが哪吒です。

仲間を探しているようなそうでもないような雰囲気で釣りに興じる太公望に、どう見ても胡散臭いおじさんの風貌の李靖が走って迫って助けを求めてきます。
「息子に殺される」と叫びながら。穏やかではありません。
哪吒と李靖の追いかけっこに巻き込まれた太公望は宙を飛び追ってくる哪吒が「普通の子供」ではないことに気が付きます。 宝貝は禁城に潜入し妲己と対峙した際に「ひとつでも大量のエネルギーを吸い取る」と紹介されていますが哪吒は宝貝を3つもつけて平気な顔をしている状態です。 さらに李靖も「普通のニンゲン」ではないことを見抜きます。李靖は仙人界で修行した経験があるんです。 李靖の哪吒からの逃走劇を助力することになった 太公望は陳塘関という関所に到着します (李靖は陳塘関で一番偉い将軍です)。 陳塘関に着くと元気のいい女性が太公望を迎えます。哪吒の母親で李靖の妻の殷氏です。 穏やかではない追いかけっこから始まり、おかしな親子関係に太公望は巻き込まていく、それが哪吒のエピソードですね。

ここからミュージカルの話を含めていきます。 李靖を演じているのはアンサンブルの方でした。兼ね役が多いのは先のブログにも書いた通り、吉谷さんの演出の常套ですね。キャスティングが発表されなかったキャラクターの登場は嬉しいです。
殷氏を演じているのは紂王と兼ね役で瀬戸祐介さんです。

この哪吒のエピソード、ミュージカルでのシナリオ・構成は原作のエピソードから乖離しているわけではないのですが、本当に2.5d化のダメなところがMAXで詰まっていたセンテンスでした。
原作漫画から乖離してないのに崩壊はしている。最も悲劇的ではないでしょうか。

さて「何がそんなに気に入らないのか」という話ですが、瀬戸君は「殷氏」というキャラクターを再現して演じられていらっしゃいません。 彼は「紂王ではないか?」というメタな紹介とともに登場します。 それは良いんです。兼ね役は舞台作品の醍醐味の一つですし、俳優さんたちの演技の多様性を観ることが出来るのは観劇という行為の中で楽しみの主たる部分ではないでしょうか。 特に「漫画のキャラクター」というこの世に実在することの無い(実在するヒト・モノから模倣をすることができない)存在を演じることは2.5次元作品の中では醍醐味中の醍醐味だと思います。

ありのまま起こった、目の前で展開された事を書くつもりなんですけど、不愉快指数が高過ぎたのでdisのようになるかもしれません。許して。

哪吒の誕生についてですが、殷氏は妊娠3年6か月(マンガとしてもまともな妊娠期間ではありません)の末、哪吒を出産します。 「残念ながらお腹の子はただの肉の塊だ」の台詞の通り、お腹の中の子供は既に死んでいることが示唆されています。 ミュージカルでは哪吒(肉の塊)誕生時の「珠のような子供」と青ざめながらのギャグシーンはありませんでした。 このシーン、マンガでも一コマでサラッとしてますが、ビジュアル的にはグロテスクなのにギャグ飛ばしてる余裕があるっていうシュールさが面白くて私は好きなんですけど、ミュージカルには採用してもらえませんでしたね。悲しかった…。 肉の塊としてショッキングな姿で誕生した息子を優しい妻に見せるわけにはいかない、と李靖は肉の塊に刃を立てます。 すると宝貝を3つも付けた状態です肉の塊を破って男の子が生まれます。生まれるというかシーン的には肉を破って出てくるというか。

ミュージカルではこのあたり、非常によく展開を纏めていてテンポよく進んだと思います。 ミュージカルとしての完成度高いと思いますし、説明的になり過ぎてなくて本当に観やすく理解しやすくと最高の構成でした。 ただ死ぬほど不快指数が高かったのはこのナタク誕生のきっかけとなる殷氏の夢のシーンです。

殷氏のお腹の中の子供は肉の塊です。 既に死んでいるのではと殷氏も不安に思っています。 ここで超自然現象アイテム宝貝の出番です。 仙人界の中でも最高傑作と名高い、女性の胎に宿すことで生まれながらの仙人(道士)を生み出すことができる宝貝、霊珠。 製作者は舞台の冒頭から登場している太乙真人です。 太乙真人は太公望と同じく原始天尊の弟子なのでコミカルなキャラクター性だけでなく、凄い(偉い)仙人の1人なんですね。そういうところも太乙の魅力の一つですね。 仙人や道士はいわゆる普通のニンゲンにとって「浮世離れた神秘性、自然と尊敬される存在である」という点は世界観設定の一つとしてご理解頂きたいです。そういうものなんです。どう見ても少年の(弱そうな)太公望も「仙人様」と頼られますしね。

原作では肉の塊を胎に抱え眠る殷氏はある夜、夢を見ます。 夢の中で仙人は「残念ながらお腹の子はただの肉の塊だ」と告げます。 狼狽える殷氏の胎に霊珠が押し込まれたところで、殷氏は目覚め、陣痛が起きます。 原作だとこの殷氏の夢に現れた仙人の正体は説明されてません、太乙も未登場ですし。 ですがミュージカルでは既に太乙真人は登場済みですし、仙人界の最高傑作の霊珠の製作者としても紹介されています。これは別にいいんです。前後するのは理解できます。理解は出来ても残念な気持ちが変わるわけではありません。後々のストーリーやシーンでのインパクト欠けはやはり残念に思ってしまうんです。 もちろん登場キャラクターに制限がある以上、ここはご都合主義的に「そうだったんだ~」で十分なシーンなので概ね間違っていません。セオリードオリーって感じ。

問題なのはこの時の瀬戸くん演じる殷氏が本当に全く「殷氏」を演じていないのです。 「演じていない」と評しているのは「キャラクターの再現性」の話です。

夢に現れた太乙真人に対してなぜか殷氏は暴言を吐きました。しかも見た目dis。 この時、なんでいきなり殷氏が太乙に向かって暴言を吐くのでしょうか。私にはわかりません、ただあまりにもショッキングな改変でした。

女性の寝室に入る男性は確かに非常に無礼かもしれませんが、なぜそこがいきなりフィーチャーされたのかちっとも解せません。いやでも安納務版の漫画の原作の方でめっちゃ怒ってたからそっちを採用したのかも…そうなの?ならそうだといって欲しいけどそれでも私の初日の衝撃と悲しみは拭えません。

殷氏にとって「残念ながらお腹の子はただの肉の塊だ」があまりにショックだったとしても、 夢に現れた「仙人」に対して汚い言葉を放つ殷氏は理解に苦しみます。

殷氏というキャラクターは女性キャラクターが多い封神演義の中で彼女に特出するパブリックイメージは「母親・母性」でしょう。 加えて「テンションが高めの元気で明るい女性」。 この「テンション高めの元気で明るい女性」としてのイメージを強調してキャラクターを作り上げたのかもしれません。 瀬戸君の中の「元気な女性」像が心配になります。
瀬戸君の殷氏は先述の暴言だけでなく、太乙真人に殴る蹴るの暴行を加えます。 そんなことをする必要があったのでしょうか。 何度でも言いますが解せません。

ただ、このシーンはこのミュージカルにおいて「コメディ」のシーンなんですよね。笑うところです。 客席からは奔放な瀬戸君の殷氏に笑いが起きます。そういうシーンなんです。楽しめなかったのは私が悪いんです。 ですが、「殷氏は暴言・暴力を伴ったキャラクターとして表現された」という目の前に突き付けられた事実に私は激しく動揺してしまいました。楽しめるわけがありません。悲しかったです。 ミュージカルにおいて殷氏は「慈愛に満ち、息子(哪吒)を愛する母親」として表現されるよりも先にこのシーンが見せ場になるんです。

「紂王を演じている俳優さんが女性役も演じている」というメタな視点で楽しむべきシーンなんだとはわかります。 それでも私はショックで本当に悲しくて瀬戸君による殷氏を1㎜も楽しめませんでした。演技を信頼することも出来ませんでした(紂王は最高だったのに)。 楽しんだ人が正しいので楽しかった方々には気にせず引き続き瀬戸くんのこの殷氏を楽しんで頂きたいです。

原作がある作品では「原作リスペクト」の気持ちを忘れて欲しくはありませんが、原文儘がそのまま最高の2.5d作品になるとは思っていません。 儘やってくれ、なんて言ってるわけではないんです。 ミュージカルならではの味付けは大歓迎ですし、むしろ楽しみして観劇に臨みました。 でもこのシーンは完全に原作をオミットしていましたしリスペクトも一切感じませんでした。

感想って反芻して日が経つとどうしても煮詰まってしまいますし、「もしかして初日だけのお遊びかもしれない」「初日だからより強く瀬戸君が演じていることを説明したかったのかもしれない」と思い、 もう一度劇場に向かうことも考えたのですが、もう本当に二度と観たくないという気持ちが勝ってしまいました。私は弱い人間です。

哪吒の宝貝の話なのですが、哪吒のつけている宝貝の一つは空中を飛行可能な風火輪というアイテムです。 宙を飛んで哪吒は追ってくるんです。しかもこの宝貝ホバリングも可能なので、哪吒はずっと「宙に浮いているキャラクター」なんですね。3次元での再現度が難しところですな。
でも、演劇なんて言うのは観客の力も借りるものなので、「飛んで追ってくるーーー」とセリフ一つ入れば 舞台上に足が着いていても、空を飛んでるように観客には観えるものなんです。それで十分だったんです。

哪吒の風火輪のビジュアルは一言で言うと二つの輪です。輪に両足を載せている状態です。 ミュージカルではセグウェイの片足版(そういうものがあるかわかりませんがそうとしか言えない形状)のものに乗っていました。 これ、ものすごくビジュアル面での再現度が高くて感動でした。 でもこの感動は逆に光の速さで気持ちをどん底に沈めていきました。

物凄く動きが遅いんです。
機械としては限界速度なのかもしれませんが本当に遅い。

この時、哪吒って李靖を凄いスピードで空飛んで追っているんです。 その哪吒が普通に走った方が速いようなスピードで宝貝に乗っているともう本当に見た目の再現度が物凄く高い為により滑稽で、臨場感がゼロで泣きそうになりました。いえ、むしろ逆に干からびてしまいそうでした。泣けねぇ。 ビジュアルの再現に極振りした結果、コノザマって感じで2.5次元舞台って本当に難しいですね。

私は「生身の人間がやっているんだから仕方ない」そんな土俵の話がしたいのではありません。 私がこのミュージカルでつまらなかった部分は「生身の人間が再現できないから」という部分では無いんです、「その表現を採用するのは解せない」という話なんです。 ビジュアルを再現できないならセリフでも解決できることだってあるじゃないですか。 生身の人間が目の前で演じるこことによって漫画を読んでいた時には得られなかった「体感」が 生まれることが2.5次元作品の魅力の一つではないでしょうか。 そういう意味でこのシーン「哪吒が李靖を追っている」という状況の体感の臨場感がゼロだったので、漫画を読んでいた時に感じた、新しい物語の慌ただしい始まりに高まる緊張感が全く得られなかったんです。 だからこそ、ミュージカル封神演義で見る必要のないシーンに挙げます。ここを許容するならもう目を瞑って見ていても同じだと思います。

哪吒のエピソードは李靖の酷い行為が暴かれていくことで集約していきます。ヒデェ父親。

殷氏のセリフの中で彼女の母性を象徴するセリフが二つあると思います。 「子供の罪は親の罪」「この人を失ってもあなたを失っても私は悲しいわ」 でもこれどちらのセリフもさっきめちゃめちゃ暴言を吐いて暴行してた殷氏が言ってもちっとも感動出来ないよ。 前のシーン引きづり過ぎとか言われるとほんの30分前のシーンに引きづり過ぎもあるかボケ、当然の残像だよ。

哪吒は本当に無垢な幼い子供です。哪吒の成長(学習)は相手にそのまま返っていると思います。 愛情を注いでくれた殷氏には愛情を返し、疑いを掛ける李靖には疑いを返す。 子供なので短絡的なところがあり、水棲霊獣王の怒りに哪吒の死を以て償う形をとります。かなしいことですが、結果を見れば哪吒の死は功を奏し、陳塘関と両親は守られました。 ミュージカルでもここはそんなに茶化さずにやっていたような気がするんですが、水棲霊獣王の第三子を演じる女性のアンサンブルさんのお可愛らしい声から放たれる荒げた関西弁に客席がクスッとなってしまうのが「ゲラ警察」の私には辛かったですね。まぁそれは勝手にやってるから良いんだけど。

二度と観たくないシーンをもう一つ挙げるんですが、 ミュージカル封神演義では殷氏が哪吒を「引っ叩く」という行為が追加されていました。 ちょっと衝撃的で私には本当に何一つ理解できませんでした。 *「なぜ殷氏は哪吒を叩いたのか」

原作では哪吒へ悲しそうな顔をしながらまっすぐと見て語り、諭すシーンです。 殷氏は「(息子は)話せばわかる」を貫き通しているのです。 いやもう、墓を暴いて埋葬されていた哪吒の本体を川に捨てるような父親を許せない哪吒の気持ちの方がよほど理解に容易いところですが、 それでも父親を憎み切れない、しかしやっぱり感情は収まらないと、子供らしく感情のコントロールを失い、それを取り戻させるのが母親たる殷氏の「やめなさい」という「言葉」なのです。

な~~~~~~んで叩いてしまったのかな~~~~~~本当にがっかりしました。

もしかして殷氏の感情の昂ぶりを表現していたのでしょうか。でもそれで子供を叩くの? 殷氏は哪吒をこの一発のビンタで叱りつけたのでしょうか。哪吒が母親に叩かれるほど酷いことをしたでしょうか。 ミュージカル封神演義という作品で追加されたこの「殷氏が哪吒を叩く」という行為が何を表現したかったのか、私には全く理解できませんし、怒りを覚えるほどです。

千秋楽では瀬戸くんには是非、「話してわからせる」を採用して貰いたいものです。

さて、哪吒のエピソードは殷氏の説得により終着します。しかし哪吒の悩みは解決しません「両親にとって自分はナニモノなのか」。 フジリュー版において、この悩みに太公望は「エディプス・コンプレックス」を説きます。 封神演義の面白さを語る上で欠かせないでしょう、「エディプス・コンプレックスについて語る太公望」。 ミュージカルにはこの一連のシーン単語は有りません、サクッとカットです。太公望はエディプスコンプレックスとして仙人界で学んでいないかもしれません。 このシーンはそのまま太乙真人の初登場シーンになるのですがミュージカルではもう既に登場も説明も済んでいるので丸ごと無かっ、、、、九竜神火罩は使いました。 ここはなぜかビジュアルの再現性に拘らなかったようで、あらけんの(もうあらけんって言っちゃう) 九竜神火罩は両肩に載せてるのですが、発動しても衣装に九竜神火罩付いてたままでした。 わかる、わかってる。そういう衣装だから仕方ないって。外れないって。 「九竜神火罩ーー!」て発動してるけど、九竜神火罩肩に載ったままですよ、ってのは無粋だってわかってます。 それでも、なんかこう、どうしようもないことは分かっていてもガッカリでした、 「風火輪はめちゃめちゃ再現に拘ってたのにここは拘らないのか」という残念な思いがどうしても湧いてきてしまって。 ミュージカル封神演義が大事にしようとしているものの温度感が理解できなかったです

哪吒のエピソードはこんな感じだったような気がします。 瀬戸くんの殷氏とか哪吒の風火輪遅いとか、嫌だった所ばかり覚えていて色々記憶違いしてるかもしれません。そうであってくれ。

瀬戸君の殷氏や風火輪に不満があるのでつい批判的なことを多く書いてしまったような気がします。

何度も書きますが、哪吒のエピソードは原作をうまくミュージカル化したセンテンスでした。何でしょうかこの二律背反。 ミュージカルとしては「テンポよくて良いね」というシーンなのに「2.5d作品としては全然全く良くないね」て。 テンポが良くて上手く纏まってて観やすくて「初見にも優しい」シーンになっていたように思います。 そういう意味で最もオススメのセンテンスです。 楽しかった人や削られた要素が気にならない方、瀬戸くんの殷氏が楽しい方はもう本当リピチケとか円盤とか買ってたくさん観て下さい。

哪吒のセンテンスの楽曲も1曲も全然思い出せないので、楽曲のインパクトはやっぱり無かったような気もしますけど。

まだ楊戩のこととか武成王造反のところのこととかvs四聖とか書いて残しておきたい気もするので気が向いたら書こうと思います。

かしこ♡