ミュージカル封神演義を観てきた

ぼちぼち追記しております(2019.01.20)

  • このエントリは掲題の作品についてあまり良い印象で書かれていません
  • 千秋楽を観に行く前に少しでも気持ちを整理しておきたくて書きました(観てきたので少し追記しました
  • 書きながら思い出して書いているのでめちゃめちゃ前後してます

先ず言い訳からスタートしますが、この作品を貶めたいわけではないです。
「期待し過ぎていたのではないか」と言われると、私はこの作品の2度のアニメ化を見守って作品ファンとしてそれなりにシナリオ面・構成面で既に辛酸を舐めた方だと思います。
その経験によると「封神演義大河ドラマだから、描くのには十分な時間を要する(時間がたっぷり無いと無理!)」ということを既に知っています。 だからせいぜい2.5h前後の公演時間になるだろうミュージカルという媒体では、 (ましてや登場キャラクターに「天化がいる」ということは)今回も十分な時間は与えらていないだろう事はあまりにも容易に想像ができました。
構成は駆け足になるだろうな、と最初から覚悟はしていました。
アニメの「覇窮封神演義」にラーニング封神演義と最初に言ったヒトは天才だと思います。
ミュージカルのタイトルに「覇窮」が無かったのでミュージカル用に改めて脚本が練られて演出が付くならば「アニメでは削られてしまった封神演義の魅力的な部分が今度こそ表現されるのではないか」程度の期待は多少は抱きました。

一応、キャスト陣への不満は無いです。
既に「一応」なのは一部のキャストのビジュアルに多少の不満はあったので
ただし、ビジュアルの再現はメイクや衣装の監修の問題でキャストのせいではない、というのが私の気持ちです。

主演の橋本祥平さんがご出演されている舞台作品を何度か観劇させて頂きましたが、斉藤一も太鼓鐘貞宗もヤマトもとても素晴らしかったです。
一見すると少年のような可愛らしいお顔立ちでいらっしゃいますが、大変男らしさが溢れており、演技力と合わせて多様なキャラクターを演じられていて、いつも楽しく観劇させて頂いておりました。
円盤で見ただけなのでお恥ずかしいのですが、舞台「KING OF PRISM」での体を張った演技は 舞台を中心に活躍される俳優さんの中でも抜きんでた表現をすることができる度胸のある方と感動致しました。
軽さも重さも表現できる高い身体能力は素晴らしく、舞台に大変映える演技をされる方と思っています。 彼を応援しているファンの方は幸せだろうと思います。
太公望」を演じるのが橋本祥平さんと知った時、もしもこの作品が面白くなかったら橋本祥平さんのファンの申し訳ないと何度も何度も頭を抱えました。
2度もアニメが不評な作品ですし、原作は20年以上前の作品、最新のアニメ化も失敗している、そんな前評判の作品に貴重な時間を割いてしまうことに対する不安は禁じ得ませんでした。
橋本さんの演じる太公望に一切の不満は無かったです。私は見た結果「封神演義」として全く面白くなかったんですが、橋本さんの高い演技力はフルに発揮されているので橋本さんのファンで観に行かれる方は楽しめるんではないでしょうか。そうであって欲しい。
俳優陣各位のファンへの言い訳なんですが、俳優さん達の演技がつまらなかったわけではないんです。 私が楽しめなかったのはこの作品を「封神演義として捕えた」からなんです。出演して下さってことに対する感謝は尽きません。

2.5次元舞台作品でこういった「面白くなかった」という感想を話す際、「解釈違い」「キャラクター崩壊」「演出が悪い」が定番かと思うのですが ミュージカル封神演義はその全てをほぼほぼクリアしていたと思います。
「解釈違い」についてですが封神演義の作者藤崎竜氏の言葉で胸に深く刻まれている言葉が有ります。

「アニメ(1度目)の封神演義はオルト(原作・講談社刊行の安納務版)に対して漫画(集英社藤崎竜版)がメタな封神演義だとするとアニメはメタメタって感じですね」


上手い皮肉ですよね。こういう気持ちで観れば良いんだなと支えられている言葉でもあります。
というか、ミュージカル封神演義はクローズアップすべき箇所が私とは好みや大事に思う箇所が違っただけで「そこに焦点を当てたら確かにそうなる」のような理解は出来るので「解釈が違った」わけではないです。
時間に限りがあるので、シナリオに取捨選択はされていますが「作品の解釈」という点ではミュージカル封神演義は何か決定的におかしいというわけではなかったです。

「キャラクター崩壊」についてですが、各キャラクター、誰も壊されてないと思います。 デザインも含めて、時代背景に寄せていないキャラクターが封神演義の魅力の一つだと思います。 「架空の街ロッポンギに繰り出して飲むぞー!」も「架空」なんて付けない方がより「らしい」と思うほどに。
繰り返しますが基本的にはキャラクターを破壊するようなシナリオや演技ではなかったように思います。 一部キャストによる明確なキャラクター崩壊があったので記しておきます。
瀬戸祐介さんの殷氏です。哪吒の母親を兼ね役して下さっていました。
本当にキャラクター破壊が酷かったんですが、酷くなったのには明確な理由がありますし、 それを許容できない私自身にも多少の落ち度はあります。ただ、自分自身に落ち度があるとしても絶対にここは譲れませんでした。殷氏の振る舞いとして本当に納得ができなかったのです。
それ以外は概ね...黄天化が莫耶の宝剣をマイクに見立てて歌った時は本当に席を立とうかと思いました。 これは一度目のアニメ化の時に突然歌いだした天化が受け入れられなかったことも影響しているんで私自身に限った問題ですね。
楽しかった人や気にならなかった人の方が多いかもしれません。ただ、私は本当に席を立とうか迷ったシーンでした。
これは「キャラクター崩壊」かと言われると違うと思うので「飛影はそんなこと言わない」に近いですね。
妲己のキャラクター表現について「妲己は物理的に他者へ攻撃を仕掛けないのではないか」というのは私の勝手なイメージかもしれませんが、 「楽曲中の演出で申公豹を足蹴にしていた」等の ほんの些細な表現で違和感を感じました(「申公豹」というキャラクターを蹴っていたから余計に変に感じたとも思うんですが)。
妲己に足蹴にされていたのが太公望だけならここまで違和感を抱かなかった、またはミュージカル版の表現として受け入れられた気がします。
ただ、相手が申公豹なことが本当に悪かった。 こういった本当に些細な違和感が積み重なって「妲己はそんな振る舞いは決してしない」と思ってしまうわけです。
キャラクターを表現するにあたって、役者さんの演技で意図的に破壊があったということは無かったように思います。瀬戸くんの殷氏以外。
でも、瀬戸くんの殷氏はシーン表現の為にあえてそのキャラクター表現を採用したと言われたらそれまでなんです。
再現性ゼロのシーン及びキャラクターとして割り切られているとも言えるわけです。 でも、私には無理でした。
特に哪吒を引っ叩いたのが本当に受け入れられなくてもう二度と観たくないシーンNo.1です。
しかしながら全編を通して言えば(「このシーンでこういう表現をされたのは違うのではないか」という違和感は多少あるのですが)、人の身で漫画作品(キャラクター)を演じる上での許容の範囲内かと思います。

「演出」についてですが、演出家の吉谷光太郎さんの演出作品は過去何度か観劇しておりまして、 アンサンブルによるコンテンポラリーダンスのようなモノローグ表現が特徴的で、 アンサンブルさんが兼ね役をされていて、キャスティングの際に名前の無いキャラクターも登場する・舞台上に存在するというところや、OPの全員ダンス・歌唱に華があるという印象です。
ノローグ表現が絶妙で私は「ミュージカル「ハートの国のアリス」」や「超歌劇 幕末ROCK」の大ファンです。
コドリアやめいこいも面白かったです。
長いシナリオ、多様性のあるシナリオを纏めて表現されるのが上手い演出家さんなので封神演義に対して「もしかして今度こそ面白いかもしれない」という期待を持てたのも吉谷さんが演出と伺ったからです。 演出は吉谷さんの得意とするものが如何なく発揮されていたと思います。
曲自体のキャッチーさが物足りないということはありましたが、OPの全員歌唱・ダンスはやはり華がありました。

封神演義には「宝貝」という武器があり、どうしても超自然現象的効果を演出する必要がある武器(時にヒト)が多く登場します。
音と光と小道具(布が多かったですね)を用いて表現されていて、原作の画が浮かんでいる状態で見る分には十分だったと思います。
逆に言うとセグウェイ(かどうかはわからないのですが、哪吒の風火輪)の表現は大変惜しかったです。形状の再現が完璧だったのですが、とにかく動きが遅くて(千秋楽では初日よりも俄然速かった気がします。降りてからの方が動きスピーディーだったのは否めませんが)「迫ってくる哪吒から逃げている」という描写が説得力に欠けました。走った方が速い。ここはビジュアルの再現に極振りした結果、シーン描写としては破綻していたと思います。

封神演義はビジュアルの情報がとても多い作品です。 時代設定と乖離させたコスチュームやアイテムのデザインは封神演義という作品の魅力です。
それがとても難しいんだと思います。
ですがそこは哪吒の風火輪以外は許容範囲でした。津波とかも。
陽森の宝貝はちょっと「諦めたんだな」という感じでしたけど。
演出に明確に不満と言えば終盤のシーンで「聞仲を説得する黄飛虎」のシーンです。
舞台セットの階段上になっているところから転げ落ちるのですが、聞仲の禁鞭を受けたダメージを表現してそうなったのでしょうか。
漫画においてこのシーンで黄飛虎は大きくダメージを受けながらも決して倒れず、太公望に支えられて踏みとどまってます。
この、「体格差が明らかに異なる太公望」に支えられる武成王にはそのダメージの大きさが伺え緊張感が高まります。胸の内を叫び、太公望に支えられたまま聞仲に手を差し伸べます。
なぜ転げ落ちることにしたのか非常に理解に苦しみます。千秋楽では黄飛虎が転げないことを願います。


「それが原因ではない」を先に挙げているせいで「じゃあ何がダメだったのか」という話なのですがここからはそれを書いていきます。
基本的に漫画のストーリーに沿って何がどうダメってことを書きます。
原作の酷いオタクなので。
このミュージカルを観劇した際、本当に私は面白くなくて観劇中も何度も頭を伏せてしまいそうでした。目線が下がってしまうので堪えましたが本当に本当にしんどかったです。疲れました。M1は永遠に続くかと思いました。(千秋楽行ったら割とテンポ良くなってたのでちゃんとM1はここで終わってたんだな、てわかりました。初見の記憶、曖昧でしたな)

何度もtwitterにポストしてしまったのですが、本当にあのクソ長いM1のせいで初っ端から集中できなかったです。
というかM1以外の曲は全く印象に残ってないです。(千秋楽ではテンポアップしてたので)ただ曲中「それはセリフで言った方がいいんでは?」という場面が多かったことは覚えています。
楽曲のインパクトが全編を通して無かった。
クソ長くて単調なM1のせいでM1からOPにスライド(っていうのか?)するのですが(M1→芝居パート→OP、のコントラストがテンポアップによって多少生まれてました)OP曲のインパクトも薄れてしまったように感じます。
せっかく華やかなOPなのに勿体ないですね。
歌詞1㎜も思い出せないけど、思い出せない程度のインパクトということだと思います。

封神演義は殷の時の皇帝・紂王が皇后妲己によって骨抜きにされ衰退するんですが、漫画は国が乱れていることを表現するシーンから始まります。
その時の妲己の象徴的なセリフが 「ばっかね~~ん 米や麦が無いならお菓子を食べればいいのよん」ここはさすがにあります。
演出としてはM1(OPだったかも)の最中だったんですが、もうよく覚えていません、ただ「有った」ことは確かなので備忘です。有ってよかった。象徴的な良いセリフ。

早速なんですが漫画で仙人界の仙人道士についてを説明する際、崑崙の道士がA.T.フィールドを展開してますよね。
これもう本当に損失だと思います。
舞台なら何も言わなくても出来たのに!
なんかそれっぽい小道具でアンサンブルさんが立ってるだけでこっちで勝手に補完したのに!と思うと。
すみません、舞台上のどこかにいたでしょうか。私の見落としだったら千秋楽では絶対に見逃したくないので、「A.T.フィールドを展開してる道士は上手にいます!」とか教えてください。(いなかった)
この「A.T.フィールド」が漫画の封神演義における最初のギャグシーンだと思うんですよね。わかりやすくギャグで物凄く味わい深い。
私は封神演義のこういうテイストを非常に好んでます。
これに対して「そういうのはどうでもいいです」という方はこのエントリの最後にミュージカル封神演義の絶対に観るべきポイントを挙げているので、そこだけ読んで頂ければ十分です。
本当にそこだけは絶対に観てもらいたい。


このミュージカル、白鶴童子がいません。 白鶴童子と言えば太公望を「師叔(スース)」と一番最初に呼ぶキャラクターですね。
「すーす」といえば太公望を指す、くらい封神演義では当たり前の単語ですね。
それを呼ぶ白鶴童子が出ないんですよ。
漫画の第1回に相当する部分における大きな損失だと思いませんか。私には大きな損失でした。
白鶴童子の役割を担っているのは太乙真人なのですが、太乙では言えないんですよね。立場が対等だから。
修行に身が入っていないことに不安を抱く白鶴童子がいないので、それはわざとやっているという太公望を見抜いている原始天尊も欠けてしまうので本当に残念です。いえ、セリフにはなってるんですが、白鶴がいないのでシーンの印象が変わりますね。
「ミュージカル封神演義」にはこういった「些細なことなんだけれど作品の面白さを表現してきたキャラクターやエピソード」が本当に多く欠けています。
限られた時間の中では削るしかない、仕方ないことです。痛いほど理解できます。痛いのは頭と胃です。
(白鶴といえばあの「自信家の楊戩」ととても仲良しですよね(楊戩と白鶴の仲が良さそうなのは後々のエピソードを考えると闇が深い気もしますが)。太公望の下に楊戩がつくことを「それじゃ楊戩がかわいそうです!」というシーンが無くて悲しかったです)
ミュージカルでこの辺りのシーンで太乙真人の出番が非常に多くなるのは必然なのですが(あの出演キャラクターのメンツではね…)、太乙真人って物語の序盤にこんな風に出てくるキャラクターとして適任かというと私には疑問が拭えません。
四不象と同じように、白鶴童子黒点虎、黒麒麟が出ていたらもっと違ったと思うんです。
予算、時間の都合等「仕方ない」は想像に容易ですが仕方ない仕方ない仕方ないで何でも済ませるならもうこれ封神演義である必要ないじゃん!というのが私の素直な気持ちです。国立アンニュイ学園が見たい。
わりとさっさと封神計画の実行者になることを太公望は了承し、霊獣の四不象をもらいます。
光の速さで封神計画の実行者になってた ここで漫画では書き文字で白鶴童子の「いーなー」という羨望が入るんですよね。それがないのは本当に些細なことなんですけど残念なところです。
霊獣に乗っている道士、仙人って本当に少ないんです、フジリュー封神演義では。霊獣を与えられる太公望はやはり特別で重要な任務を受けたんですよね…感慨深い。
でもこの些細だけど意味のあるところは無くなってしまうのに、四不象の見た目の「カバそっくり」はどうしても取り上げるんですよね。いやそれは良いんだけど。
白鶴童子がいない代わりに太乙真人が出ているという話をもう一度蒸し返すんですが、 この「物語序盤に登場し、既にキャラクター紹介された状態の太乙真人」が後で悪い意味で響きます。 なんていうか、太乙真人って初登場シーンが既に面白いキャラクターじゃないですか。それが失われてしまいますし、 登場して紹介が出るまで「恐らくこの後説明されるだろう謎の人物」である点も薄れてしまいました。しかも後々のこのシーンは舞台版のアドリブが多分に入ってしまうので原作で面白かったところは完全に失われてしまいました。
太乙真人といえば「カメラ目線」ですが、あんまり言われてなかったですね。前を向いて話してたかな、正直よく覚えてません。でも覚えてないってことはあんまりクローズアップされてなかったと思います。
別に言わなくてもいいのに「カメラ目線」って書き文字が入るのとか「カメラ目線っスね~」て言われるのが太乙真人の登場シーンの「お楽しみ」の一つじゃないですか、それが無かったのがさびしい。
更に後のシーンですが、白鶴童子がいないので「さっすが科学マニア!」「オタクがいいねぇ、科学オタク」のやり取りがありません。
おもしろいのにね、「マニアじゃない、オタクだ」の主張。太乙真人が好きな人には大切な言葉だと思うんですが、単純に「科学オタクと呼んでくれだからね」みたいになってました。「オタクがいいねぇ、科学オタク」だからいいのに。

もう一つおまけに「科学オタク」の割に太公望の打神鞭を見て「お、それは宝貝か?」みたいにすっとぼけるんですよ。同じすっとぼけるなら「やぁ太公望300年ぶりー(太公望は72歳)」の方が太乙のキャラクター性の紹介としては採用して貰いたかったところです。

この些細な改変の逐一が面白さが失われたところと私は思っています
太公望が朝歌を目指し出発する前から 申公豹がちょろちょろと盗み見してるんですけど、そう、それはそうなんですけど黒点虎がいないので本当にうろちょろしてましたね。
若干、スマートさと不気味さに欠けました。
[どこで見ていたの、聞いていたの]は申公豹の「食えないキャラクター」としての魅力だと思うんですが幾分可愛らしいものになってました。
可愛いし表現としては納得できるのですが、それは「妥協点にうまく着地できていた」という話です。
申公豹は盗み見して面白いなと思ったら首つっこんだり口出したりを出してて見た目がピエロなのも相まってコメディにもホラーにも動けるというこの作品で最も自由なキャラクターなのですが、申公豹が自由さは「一番強いから」という非常に単純明快な理由なんですよね。
申公豹って基本的に強すぎて誰とも戦わないので、「ラスボスの妲己が敵に回したくないと思ってる」ことで強さを表現している側面があると思うんです。 先にも書きましたけどこのミュージカルでは妲己が妙に申公豹をおちょくったような動きをするんですよ。足蹴にしたりしてて。
それが本当に、表現上の「面白さ」なのかもしれないんですけど、違和感が凄かったです。
漫画の中で妲己自身が手を出している(殴る・蹴る)描写ってほとんど無いと思うんです。ていうか1つでもあったか?
伯邑考をハンバーグにする時もシルエットで包丁を持っていることが示されているんですが妲己が包丁でどうこうしている場面は描かれていないんです。妲己は申公豹だけには常に(その強さに)敬意と畏怖を強く表現するべきだったと思います。それを考えたら足蹴にしたりはしないと思うんです。
ミュージカルの申公豹ですが、とっても上手だったと思います。
身体能力も表現力も高い大平峻也さんは申公豹に適任だったと思います。独特の声もキャラクター性に合っていたと思います。
首に雷光鞭をひっかけていたのだけ集中力を削がれましたけど。本を片手にすることはするのにね、って。千秋楽では首にひっかけてなかった!!!!!!
本を持つことよりも雷光鞭持つことの方を優先してほしかったですね。首から提げてるのも鞭の部分を掛けているので両手が空くようにスマートに処理しているといえばそうなんですけど。

ミュージカル封神演義の歌唱パートには小道具の「本」が登場します。本を片手に歌っているんですが、私には「封神演義」にその本の必要性はわかりませんでした。必要性がわからないアイテムの存在に非常に集中力を削がれてしまいました。集中力無さ過ぎ、とdisってくれるな

M1の最中だったと思うんですけど(OP中でしたね)、火竜鏢を太公望が手に入れました。とても嬉しかったです。今倒したの陳桐だよね!と気持ちがアガりました。陳桐って最初に封神されたキャラクターなんですがこの陳桐を倒すことは後々のエピソードにとても影響するのです。キーパーソンと言って過言ではないでしょう、本当は。
そう、「本当は」、、、残念ながらそこは殆ど削られてしまったんですけどね。でも火竜鏢を手に入れた描写が明示的でよかったです。アニメでは無かったからね。
丸ごと無くて悲しかったことの話といえば、 太公望がおなかを空かせて道端の草を食べる、とか朝歌(城下町)で薬屋を営んでいたおじさんに「申し訳ないが・・」とされるあのシーン丸ごとありません。 私はこのシーン、朝歌の現状を語るにとても重要なシーンだと思うんです。
太公望は確かに一族が人狩りにあって全てを失うんですが、 太公望ってその怨恨だけで「殷王朝を終わらせなければならない」と思ってはいないんですよね。
この時点では「妲己を倒せば万事解決だ」としていて「諸悪を断てば元の賢王に戻る」、「戦争でヒトが死ぬことを極力避けようとする」が伺い知れて太公望のキャラクター性と魅力を語るのに必要なエピソードだと思います。削られてしまったけど。
「糖衣か甘いシロップでなければ飲まぬ」もコメディシーンの中では私は大好きです。削られてしまったけど。
太公望の敵は妲己であって「殷を終わらせて周を立てなければいけない」はこの時点では太公望の目的ではないのです。
でもこの朝歌の現状を目の当たりにすることでその後、その必然にすんなりと移行できるんです。漫画でこの時点では思わなかったけど、後々の話とは自然につながる、伏線というよりは印象の刷り込みですかね。
陳桐エピソードに戻りますが、「奴隷狩りに合うはずだった辺境の村の人たちが(太公望によって)酔いつぶれていたことで抵抗なく捕まった(怪我しなかった)」は太公望による「この漫画は頭脳戦である」ことを印象付けていく本当に良いエピソードですね。丸ごと無かったけど。
こういうのが削られてるんです。封神演義って本当に削るエピソードなんて一つもないんです。 結果、「封神演義の面白さ」である部分がどんどんなくなってしまって「ミュージカルはつまらなかった」に着地するんです。

陳桐がいないことから芋づる式に削られたエピソードが王貴人です。
王貴人を太公望に嗾けるのは申公豹ですが「陳桐が倒されたこと」が引き金になるんですよね(陳桐って別にただのザコじゃなかったんですよ!)

王貴人はなんていうかキャンキャン吠えるせいで雑魚っぽく見えるけど太公望へ挑む姿勢は崩さないのが可愛らしいキャラクターでなぜ削られてしまうのか本当に悲しいんですがアニメでも丸っと削られてましたね。彼女をもっと大事に扱って欲しい。
王貴人は太公望に倒されてしまうし捕虜になってしまう、なんというか妲己にとってわりと足を引っ張るキャラクターなんですが、妲己は王貴人を見捨てないんですよ。妲己は極悪非道なんですがとても妹想いなんですよね。 妲己のキャラクター性の一つである「妹想い」を描くキャラクターとして王貴人は失いたくない存在でした。ミュージカルでは石琵琶(王貴人)はただのアイテムだったけど。

「おうきじん」って名前すらでてこねぇの〜〜〜〜〜〜!!!

王貴人は朝歌で占いを営む太公望の前に現れます。ここで封神演義でもここだけでしか登場しないのに読者の脳裏にやたら強くこびりつくことになる「いわし占い」が登場しますね。ミュージカルには登場しません。
薪売りが登場するエピソードでもありますね。この薪売りは「仙人は年をとらない(時間の流れが非常にゆっくり)」という世界観で再登場の際、「老けて」いたキャラクターなんですよね。
時間の経過がわかりにくい封神演義の世界の中でこの薪売りは重要な時間経過を表現する存在だったと思います。ミュージカルにもアニメにも出てこなかったけど。

ここまでM1~OPですかね(もう少しありましたな。)削られたエピソードの話してたら疲れちゃってミュージカルとしての話があんまり出来なかった。
先にも書いた通り、OPは全キャラクターによる歌唱です。ダンスもある。吉谷さんの演出では定番の手法ではないでしょうか。
今回はM1からの流れでコントラストが曖昧でキャッチーさに欠けましたがこのOP演出自体は私は以前から好きでした。
舞台の上手と下手に武成王と聞仲がそれぞれいますが、もう!本当に!超モタモタ踊っていて必見です!超面白い!全観客に観て欲しい!最高!モタモタっていう表現してますけど褒めてます!絶対見て!でも円盤では臨場感失われるから観なくていいよ!現場で見て!

千秋楽で見たら前列は人数が多くて狭くてダンスが全員小振りでしたね。特に楊戩が狭そうでした。



禁城でのエピソードというと、武成王との出会いや妲己との初めての対峙、蠆盆ですね。 ミュージカル封神演義におけるこの辺のエピソードのことをここからは書いていきます。
王貴人(捕虜)を手に入れた太公望はそれをネタに妲己を倒しに禁城へ潜入します。
この時、太公望は殷の将軍武成王と出会います。ミュージカルでは出会いません。
ここでの出会いは敵の本拠地に潜入した太公望がその親玉を倒しに来たとキッパリと言うところが最高です。
そしてそれに太公望という人物の将来性・可能性を見出して武成王は何かあったら自分を頼れ、という出会いがあるんです。ミュージカルでは無かったけど。
武成王は殷の将軍で彼もやはり「妲己が敵」なんです。殷を滅ぼしたいと思っているわけではない。
殷の軍事最高責任者なので自由はあるけど、殷の将軍であるが故に自由ではない葛藤が序盤の彼の魅力の一つですね。
武成王と太公望との出会いは本当に、ちゃんと描いて欲しかったんですがここもバッサリと削られてしまいました。
武成王が太公望を助けてくれる部分だけはいつもちゃんと残るんですけど、 そこだけ残ると「武成王って殷の将軍なのに見る目が無い」ともなってしまうんですよね。これはアニメでもミュージカルでもそうでした。
原作を読んでいて、武成王と太公望の出会いが記憶で補完されてればまだ印象が変わりますが、そもそも事前の予習を必然とするエンタメって私は未完成品を見せられているような気分になるので好きじゃないです。

太公望が初めて妲己と対面するシーン、妲己は王貴人が太公望に捕えられてることに少なからず焦っているのですが、ミュージカルではその「焦り」に滑稽さの色が強かったですね。個人的な妲己の印象でいうと妲己太公望以上の策士なので紂王がいる目の前で石琵琶に対して「妾のいもっ…」なんて言い出さないと思うんですが。
漫画でも妲己の「待って!」にはいつになく表情に余裕が無いのですがこれが笑いのシーンになるかというとどちらかというとヒヤヒヤするシーンだったので笑いのシーンになっていて些細なことですが違和感がありました。
ここで原作と同じく太公望は「宮廷音楽家」を志願するんですが、太公望が宮廷音楽家になった際に品性ゼロ!と言い放つ音楽家のおば様も「エスケープしました」とさらっという彼も削られてしまいました。悲しい。
この「エスケープしました」の彼、封神演義の面白さが詰まってますよね。エスケープという単語を使ってくる古代中国のモブがナチュラルに差し込まれる封神演義が大好きです。
さておき、そんな彼はいません。ついでに言うと禁城で行われる朝礼みたいなのは時間の都合でしょうか、ばっさり削られて存在しません。
妲己の誘惑(テンプテーション)の正体は傾城元嬢でその香りを嗅ぐとー、という説明が入るところですね。
術じゃなくて宝貝の力(その凄い宝貝を使いこなす妲己はもちろん凄いのですが)という説明が欠けますね
どっかで補完されてたような気がするので記憶違いだったらすみません
禁城内で妲己の隙を探す太公望ですが、妲己はものすごく強いので「隙だらけなのに隙が無い」状態に太公望は焦燥を見せ、追い込まれます。
このシーンの妲己、ものすごく余裕があって怖いんです。妲己が言うように所詮「太公望なんて取るに足らない微生物」なんですよね。
太公望ちゃんと遊ぶのも飽きちゃった」のセリフもこの後に続く「遊びましょ」のセリフの威圧感(プレッシャー)が物凄く強いんですけど ミュージカルでは弱めでしたね。なんか連続のシーン中の、流れの一つのセリフ程度になってて。もっとただただ怖くて良かったのに、と少し残念に思いました。
この「妲己が仕掛けてくる瞬間」は太公望が神経をすり減らして待っていた重要な場面なんです、本当は。ミュージカルでは連続の中の一つだったけど。
ここから非常にがっかりしたシーン改変になるのですが、この「太公望へ仕掛けに行った妲己は影武者」でこの話終わってしまうんです。
違うんです!ここで仕掛けてきた妲己はあくまで「本物の妲己」なんです。胡喜媚(妲己の妹)との入れ替わりが起きているのですがそれに気が付かず紂王誘拐に失敗した太公望は一度退却します。
退却した太公望は戻るんです、自分が生き埋めにしてしまった妲己の影武者を助けるために。
ここに、太公望の「無関係な人を巻き込みたくない」という心情と禁城での太公望の作戦の完全なる失敗、妲己の勝利が詰め込まれたシーンだと思いますが台無しです。太公望がただ、考えが足りなかっただけのシーンになってしまっていて本当に酷い改変になっています。
ここはアニメでも同じだったような気がします。胡喜媚がいないことがどうしてもそうなってしまうんでしょうね。

さてやっと蠆盆ですね。そういえば炮烙については丸ごと削られています。
炮烙を作る時の妲己ちゃんの「妾は図工が得意ですのん」に妲己ちゃんの残虐性が滲んでて 重要なところだと私は思うんですがミュージカルには採用してもらえませんでした。本当に悲しい。

蠆盆のエピソードは太公望にとって大きなトラウマを植え付けるシーンですね。
太公望の失敗のせいでヒトが無残に無為にたくさん死にました。
ミュージカルではこのシーン、アンサンブルさんが活きていましたね。兼ね役をうまく操る吉谷さんの演出の醍醐味だったように思います。
このシーンで「老いた妻と息子が」って命乞い(?)する人がいるんですが、この人は武吉のお父さんとして登場していたようです。
(ただ考えてみたらこのシーンで武吉の父が死ぬのっておかしいんですよね。蠆盆に落とされたのは「奴隷に使っていた羌族」なので、仕事で朝歌に来ていた武吉の父が蠆盆に落とされるエピソードをここで挿入するのは少し雑な印象です。
父です、と明言してないからこの人は武吉のお父さんのように見えるように設計されているだけかもしれませんけど。

蠆盆のエピソードで太公望は絶望してしまうのですが、ドサクサに紛れて武成王に助けられます。 原作では「ありがとう武成王~~~~~~~~~~~」と感謝の止まらないところですがミュージカルではここで初めまして武成王。
妲己に単身挑んで沢山の羌族を殺すことになったダメダメの太公望に何か将来性を感じたらしい武成王...あの状況と結果で?この太公望に?
この武成王はそりゃ造反しますわ。って感じですね。なんていうか殷に対する忠義がもともと無いんだな、って。
ついでに妲己の誘惑にかかった四不象は原作の通り申公豹が助けてくれます。
申公豹の「あなたには失望しました」ですがそりゃそうだよね、って感じです。ガッカリだよね。なのにまだ期待してくれるなんて優しいな申公豹。

ここまでで一幕の1/3くらいでしょうか。

初日の初見で私がガッカリした部分がこれだけあるのでつまらなかった、という感想も信じて貰いたいところです。
上記した「削られた箇所」が気にならないという方はミュージカル封神演義楽しめるかもしれません。#でもこれまだ1幕の1/3くらいだからね。
この辺はアニメの「覇窮 封神演義」でも似たような感じで削られていたので私がアニメを見ていた時に如何ほど絶望していたか、は今更な話ですね。
ちょっと疲れてしまったんで気が向いたら追記します。
この後続く話としては 哪吒エピソードへの不満、太乙真人の宝貝オタクの崩壊、楊戩のテストでのセクシーふくらはぎ攻撃について、武成王造反、vs九竜島の四聖についてです。

千秋楽を改めて観劇してきたのですが、やはりこの後の哪吒のエピソードの纏め方、テンポは非常に良くてとても観やすかったです。瀬戸くんの殷氏への不快指数が高過ぎるのですが、それは別のブログに分けたので「何が」という話はそちらで書きました。
楊戩のエピソードですが、ここもシナリオ面ではうまく編集されているというか、エピソードとしての違和感はありません、ストレスフリーでした。ただ、何故かとても物足りない印象を受けていてどうしてこのセンテンスは面白くないんだろうと考えていたのですがシナリオの編集によって「楊戩が優秀でいい人」に落ち着いているんですよね。 全く間違ってないんですが、この時点の楊戩って本当に「優秀故に嫌味に聞こえるところがある」中間管理職トネガワにおける佐衛門三郎みたいな所があったんですがそこが欠けているんですね。「仙人界目線です」とは言っているんですが、原作で楊戩が太公望に見せていた無礼さというよりは言葉遊びの可愛らしさの方に寄っていたように感じました。 ミュージカル封神演義の楊戩ってすごくカッコイイんですよ、最初から最後まで。この楊戩の下なら働きたいって人もたくさんいると思うよ、元始天尊…。 楊戩が太公望の本気を引き出すために四不象に哮天犬をけしかけて人質にとる(手加減はしているけど、手加減してること太公望は知らないからね)ところが欠けると楊戩の話には筋が通るというか「太公望の本気の実力を知るために体を張る楊戩」になるんですね。カッコイイけどこのシーン、本当はもう少し楊戩が卑怯です。 でもこの編集は「妥当」としか言い様が無いです。 毒っ気が抜けた楊戩って本当にかっこいいヒーローですね。

思い出せる内に先に書いておくんですが、vs九竜島の四世の李興覇vs哪吒のシーンで哪吒に「考えて戦うこと」を間接的に伝える太乙真人のシーンで一つ目の太乙風船が破裂した時、原作で哪吒は「ビクツ!!」と非常に動揺するんですよね、「あ」て。ここのシーン、場面としてこの哪吒に説明は全くされないけど実に胸に響くシーンなのですがミュージカルでは…私が見落としてるだけかもしれないのですが描かれていなかったような気がします。太乙の風船は物凄く原作ビジュアルに忠実になのに。なんというか「重要なのはそっちでは無いんでは?」とつい思ってしまいました。

まだ書くかもしれないですが、大概「あれがない」「これがない」「この要素が無いからつまらなかった」という話がメインなのでもう書かないかもしれません。

最後に、 ミュージカル封神演義において2.5次元作品として価値が極めて高かったシーンを書くので観劇のご予定がある方は是非注目して頂きたいです。
生で観てこそ真価だと思うシーンなので円盤とか配信とかヌルいことを言わず、劇場で体感して頂きたいです。

♪へべれけへべれけうたいます~♪はまぐりはまぐりのみまくり〜

これは酒池肉林パーティを開催した際、酒を飲む紂王への妲己のコールです。漫画の中の小さなコマの書き文字です。 ついでに、ここでは「いっき!いっき!いっき!」のコールに「だっき!だっき!だっき!」と韻を踏んだ合いの手が入りますが本当に最高でした。
非常識な宴会であることが表現されていましたし、なにより「文字」という情報でしかなかった♪へべれけへべれけ~にメロディがついていることに感動しました。
この感動はWS版で胡喜媚の♪ズンチャラッカホイホーイホヒホヒにメロディが付いた時の感動と同じです。
こんなに時が経ってあの感動を再び味わえるとは思いませんでした。本当に嬉しかった。
この意味の分からないコール、封神演義の面白さって感じです。本当に胸が熱くなりました。2.5次元にした意味があるシーンです。

姫昌が武吉によって轢かれるシーン

天然道士の武吉は「普通の人間として規格外である」ということがものすごくよく表現されていました。
武吉に轢かれた姫昌が倒れるのは漫画だと如何ほどの威力か判断するのが今思えば難しいですね。当時は周公旦に狭量だなと思っていました。違った。武吉に轢かれたら死ぬかもしれない。そりゃ死刑にもなるわ。凄く説得力がありました。2.5次元になったことによって、改めてより深く原作を知ることができました。陣内くんの最高の芝居でした。
人の身をもって漫画を表現することの意味が目の前に輝いて見えて思わず立ち上がってしまいそうでした。こういうのスタオベっていうんだなって感じです。 このシーンがもう一度見れると思うと千秋楽の観劇が楽しみで仕方ないです。
いつから変わってたのかわかりませんが、千秋楽では転がった姫昌はブレイクダンスのスワイプス(?)決めてました。このシーンの中でとても感動した漫画を読んでいた時の体感は失われてしまいました。非常に残念でなりません。元気いっぱいじゃん、姫昌。武吉のこと死刑にするほどの衝突事故か?という印象です。なんというかここはコメディのシーンだったのですね。勝手に価値があると思い込んでいましたが無価値でした。このシーンを指して後々のシーンで天化が「あんな動けるジジイ、そうそういねぇさ」と言うんですが西伯侯 をジジイって呼ぶのは頂けないですな、いくらヤンチャな天化でも。そういう子だったっけ?あのシーンのせいでこんなこと言う羽目になってる、という印象です

「意味のあるアドリブ」については武吉の耳が物凄く良いって流れで「僕、ニコ生を見ている人たちの声も聞こえるんです!」これは千秋楽(と前楽)がニコ生放送されていることに繋がっていて「意味がある」アドリブです。こういうのは本当に軽妙です。最高。スタオベしちゃいそう。おい聞いてるか陣内将。

私個人の思い入れですが、「意味のないアドリブ」は非常に不愉快です。上記の姫昌もそうですが、天化が聞いた太公望の噂からの人物像のシーン、千秋楽では陣内将さんによる橋本翔平さんの舞台上でのお遊びについて語っていて、それが面白ければ(話の筋とのマッチングが良ければ)全然構わないのですが千秋楽では橋本翔平さんも拾いきれておらず「内輪ネタ」に着地していてココでこの全く面白くない話をうふふと笑ってやれる気概がなくて申し訳なかったです。本当に全然面白くありませんでした。
ミュージカルで良かった点もう一つ書いておきます。 「伯邑考ハンバーグ事件」を割とサラッと流したことですね。
その結果、姫家の家宝紹介という封神演義の中でも屈指の面白シーン・セリフである 「押したり引いたりする必要が無くしかもオートマです」は失われてしまいましたがイーブンだと思います。「ここが無いからここもない」で唯一溜飲の下がるポイントでした。

クソ長い感想というか備忘になってしまったんですけど結論としては

「原作(フジリュー版の漫画の封神演義)の面白い要素が削られていたので面白くなかった」です。

かしこ♡