ミュージカル封神演義を観てきました〜哪吒のエピソード篇〜

まだ言いたいことがあるのか、って感じですけど悲しいかなまだまだある。
「楽しめないのは楽しむ才能がない」と他人にも自分にも思ってはいるのですが、 才能が無いことは悪いことではないので努力でカバーしたいところです。出来なかったけど。

掲題のここから感想を書いていく哪吒のエピソードのセンテンスはミュージカル 封神演義の中で最も原作漫画をテンポよく纏めていて、とても観やすく構成されていたと思います。テンポがとにかく良い。 削られてしまったところは言いたくないですが「仕方ない」で済ませられるところとして適切な判断だったと思います。

「瀬戸くんは2巻を読み直せ」「殷氏研究しなおせ」と名前付きでSNSで叫んだのですが 瀬戸くんにこの想いは届かないと思うので取り敢えず書いて気持ち整理しておこうと思います。
何度考えても「どうしてそうなったんだよ」と思ったので改めてミュージカル封神演義を哪吒のエピソードを中心に感想を書きます。

太公望は蠆盆事件を経た結果「仲間を集めなくては」目標を新たに設定します。 ストーリーが「仲間集め」にシフトしてから一番最初に出会うのが哪吒です。

仲間を探しているようなそうでもないような雰囲気で釣りに興じる太公望に、どう見ても胡散臭いおじさんの風貌の李靖が走って迫って助けを求めてきます。
「息子に殺される」と叫びながら。穏やかではありません。
哪吒と李靖の追いかけっこに巻き込まれた太公望は宙を飛び追ってくる哪吒が「普通の子供」ではないことに気が付きます。 宝貝は禁城に潜入し妲己と対峙した際に「ひとつでも大量のエネルギーを吸い取る」と紹介されていますが哪吒は宝貝を3つもつけて平気な顔をしている状態です。 さらに李靖も「普通のニンゲン」ではないことを見抜きます。李靖は仙人界で修行した経験があるんです。 李靖の哪吒からの逃走劇を助力することになった 太公望は陳塘関という関所に到着します (李靖は陳塘関で一番偉い将軍です)。 陳塘関に着くと元気のいい女性が太公望を迎えます。哪吒の母親で李靖の妻の殷氏です。 穏やかではない追いかけっこから始まり、おかしな親子関係に太公望は巻き込まていく、それが哪吒のエピソードですね。

ここからミュージカルの話を含めていきます。 李靖を演じているのはアンサンブルの方でした。兼ね役が多いのは先のブログにも書いた通り、吉谷さんの演出の常套ですね。キャスティングが発表されなかったキャラクターの登場は嬉しいです。
殷氏を演じているのは紂王と兼ね役で瀬戸祐介さんです。

この哪吒のエピソード、ミュージカルでのシナリオ・構成は原作のエピソードから乖離しているわけではないのですが、本当に2.5d化のダメなところがMAXで詰まっていたセンテンスでした。
原作漫画から乖離してないのに崩壊はしている。最も悲劇的ではないでしょうか。

さて「何がそんなに気に入らないのか」という話ですが、瀬戸君は「殷氏」というキャラクターを再現して演じられていらっしゃいません。 彼は「紂王ではないか?」というメタな紹介とともに登場します。 それは良いんです。兼ね役は舞台作品の醍醐味の一つですし、俳優さんたちの演技の多様性を観ることが出来るのは観劇という行為の中で楽しみの主たる部分ではないでしょうか。 特に「漫画のキャラクター」というこの世に実在することの無い(実在するヒト・モノから模倣をすることができない)存在を演じることは2.5次元作品の中では醍醐味中の醍醐味だと思います。

ありのまま起こった、目の前で展開された事を書くつもりなんですけど、不愉快指数が高過ぎたのでdisのようになるかもしれません。許して。

哪吒の誕生についてですが、殷氏は妊娠3年6か月(マンガとしてもまともな妊娠期間ではありません)の末、哪吒を出産します。 「残念ながらお腹の子はただの肉の塊だ」の台詞の通り、お腹の中の子供は既に死んでいることが示唆されています。 ミュージカルでは哪吒(肉の塊)誕生時の「珠のような子供」と青ざめながらのギャグシーンはありませんでした。 このシーン、マンガでも一コマでサラッとしてますが、ビジュアル的にはグロテスクなのにギャグ飛ばしてる余裕があるっていうシュールさが面白くて私は好きなんですけど、ミュージカルには採用してもらえませんでしたね。悲しかった…。 肉の塊としてショッキングな姿で誕生した息子を優しい妻に見せるわけにはいかない、と李靖は肉の塊に刃を立てます。 すると宝貝を3つも付けた状態です肉の塊を破って男の子が生まれます。生まれるというかシーン的には肉を破って出てくるというか。

ミュージカルではこのあたり、非常によく展開を纏めていてテンポよく進んだと思います。 ミュージカルとしての完成度高いと思いますし、説明的になり過ぎてなくて本当に観やすく理解しやすくと最高の構成でした。 ただ死ぬほど不快指数が高かったのはこのナタク誕生のきっかけとなる殷氏の夢のシーンです。

殷氏のお腹の中の子供は肉の塊です。 既に死んでいるのではと殷氏も不安に思っています。 ここで超自然現象アイテム宝貝の出番です。 仙人界の中でも最高傑作と名高い、女性の胎に宿すことで生まれながらの仙人(道士)を生み出すことができる宝貝、霊珠。 製作者は舞台の冒頭から登場している太乙真人です。 太乙真人は太公望と同じく原始天尊の弟子なのでコミカルなキャラクター性だけでなく、凄い(偉い)仙人の1人なんですね。そういうところも太乙の魅力の一つですね。 仙人や道士はいわゆる普通のニンゲンにとって「浮世離れた神秘性、自然と尊敬される存在である」という点は世界観設定の一つとしてご理解頂きたいです。そういうものなんです。どう見ても少年の(弱そうな)太公望も「仙人様」と頼られますしね。

原作では肉の塊を胎に抱え眠る殷氏はある夜、夢を見ます。 夢の中で仙人は「残念ながらお腹の子はただの肉の塊だ」と告げます。 狼狽える殷氏の胎に霊珠が押し込まれたところで、殷氏は目覚め、陣痛が起きます。 原作だとこの殷氏の夢に現れた仙人の正体は説明されてません、太乙も未登場ですし。 ですがミュージカルでは既に太乙真人は登場済みですし、仙人界の最高傑作の霊珠の製作者としても紹介されています。これは別にいいんです。前後するのは理解できます。理解は出来ても残念な気持ちが変わるわけではありません。後々のストーリーやシーンでのインパクト欠けはやはり残念に思ってしまうんです。 もちろん登場キャラクターに制限がある以上、ここはご都合主義的に「そうだったんだ~」で十分なシーンなので概ね間違っていません。セオリードオリーって感じ。

問題なのはこの時の瀬戸くん演じる殷氏が本当に全く「殷氏」を演じていないのです。 「演じていない」と評しているのは「キャラクターの再現性」の話です。

夢に現れた太乙真人に対してなぜか殷氏は暴言を吐きました。しかも見た目dis。 この時、なんでいきなり殷氏が太乙に向かって暴言を吐くのでしょうか。私にはわかりません、ただあまりにもショッキングな改変でした。

女性の寝室に入る男性は確かに非常に無礼かもしれませんが、なぜそこがいきなりフィーチャーされたのかちっとも解せません。いやでも安納務版の漫画の原作の方でめっちゃ怒ってたからそっちを採用したのかも…そうなの?ならそうだといって欲しいけどそれでも私の初日の衝撃と悲しみは拭えません。

殷氏にとって「残念ながらお腹の子はただの肉の塊だ」があまりにショックだったとしても、 夢に現れた「仙人」に対して汚い言葉を放つ殷氏は理解に苦しみます。

殷氏というキャラクターは女性キャラクターが多い封神演義の中で彼女に特出するパブリックイメージは「母親・母性」でしょう。 加えて「テンションが高めの元気で明るい女性」。 この「テンション高めの元気で明るい女性」としてのイメージを強調してキャラクターを作り上げたのかもしれません。 瀬戸君の中の「元気な女性」像が心配になります。
瀬戸君の殷氏は先述の暴言だけでなく、太乙真人に殴る蹴るの暴行を加えます。 そんなことをする必要があったのでしょうか。 何度でも言いますが解せません。

ただ、このシーンはこのミュージカルにおいて「コメディ」のシーンなんですよね。笑うところです。 客席からは奔放な瀬戸君の殷氏に笑いが起きます。そういうシーンなんです。楽しめなかったのは私が悪いんです。 ですが、「殷氏は暴言・暴力を伴ったキャラクターとして表現された」という目の前に突き付けられた事実に私は激しく動揺してしまいました。楽しめるわけがありません。悲しかったです。 ミュージカルにおいて殷氏は「慈愛に満ち、息子(哪吒)を愛する母親」として表現されるよりも先にこのシーンが見せ場になるんです。

「紂王を演じている俳優さんが女性役も演じている」というメタな視点で楽しむべきシーンなんだとはわかります。 それでも私はショックで本当に悲しくて瀬戸君による殷氏を1㎜も楽しめませんでした。演技を信頼することも出来ませんでした(紂王は最高だったのに)。 楽しんだ人が正しいので楽しかった方々には気にせず引き続き瀬戸くんのこの殷氏を楽しんで頂きたいです。

原作がある作品では「原作リスペクト」の気持ちを忘れて欲しくはありませんが、原文儘がそのまま最高の2.5d作品になるとは思っていません。 儘やってくれ、なんて言ってるわけではないんです。 ミュージカルならではの味付けは大歓迎ですし、むしろ楽しみして観劇に臨みました。 でもこのシーンは完全に原作をオミットしていましたしリスペクトも一切感じませんでした。

感想って反芻して日が経つとどうしても煮詰まってしまいますし、「もしかして初日だけのお遊びかもしれない」「初日だからより強く瀬戸君が演じていることを説明したかったのかもしれない」と思い、 もう一度劇場に向かうことも考えたのですが、もう本当に二度と観たくないという気持ちが勝ってしまいました。私は弱い人間です。

哪吒の宝貝の話なのですが、哪吒のつけている宝貝の一つは空中を飛行可能な風火輪というアイテムです。 宙を飛んで哪吒は追ってくるんです。しかもこの宝貝ホバリングも可能なので、哪吒はずっと「宙に浮いているキャラクター」なんですね。3次元での再現度が難しところですな。
でも、演劇なんて言うのは観客の力も借りるものなので、「飛んで追ってくるーーー」とセリフ一つ入れば 舞台上に足が着いていても、空を飛んでるように観客には観えるものなんです。それで十分だったんです。

哪吒の風火輪のビジュアルは一言で言うと二つの輪です。輪に両足を載せている状態です。 ミュージカルではセグウェイの片足版(そういうものがあるかわかりませんがそうとしか言えない形状)のものに乗っていました。 これ、ものすごくビジュアル面での再現度が高くて感動でした。 でもこの感動は逆に光の速さで気持ちをどん底に沈めていきました。

物凄く動きが遅いんです。
機械としては限界速度なのかもしれませんが本当に遅い。

この時、哪吒って李靖を凄いスピードで空飛んで追っているんです。 その哪吒が普通に走った方が速いようなスピードで宝貝に乗っているともう本当に見た目の再現度が物凄く高い為により滑稽で、臨場感がゼロで泣きそうになりました。いえ、むしろ逆に干からびてしまいそうでした。泣けねぇ。 ビジュアルの再現に極振りした結果、コノザマって感じで2.5次元舞台って本当に難しいですね。

私は「生身の人間がやっているんだから仕方ない」そんな土俵の話がしたいのではありません。 私がこのミュージカルでつまらなかった部分は「生身の人間が再現できないから」という部分では無いんです、「その表現を採用するのは解せない」という話なんです。 ビジュアルを再現できないならセリフでも解決できることだってあるじゃないですか。 生身の人間が目の前で演じるこことによって漫画を読んでいた時には得られなかった「体感」が 生まれることが2.5次元作品の魅力の一つではないでしょうか。 そういう意味でこのシーン「哪吒が李靖を追っている」という状況の体感の臨場感がゼロだったので、漫画を読んでいた時に感じた、新しい物語の慌ただしい始まりに高まる緊張感が全く得られなかったんです。 だからこそ、ミュージカル封神演義で見る必要のないシーンに挙げます。ここを許容するならもう目を瞑って見ていても同じだと思います。

哪吒のエピソードは李靖の酷い行為が暴かれていくことで集約していきます。ヒデェ父親。

殷氏のセリフの中で彼女の母性を象徴するセリフが二つあると思います。 「子供の罪は親の罪」「この人を失ってもあなたを失っても私は悲しいわ」 でもこれどちらのセリフもさっきめちゃめちゃ暴言を吐いて暴行してた殷氏が言ってもちっとも感動出来ないよ。 前のシーン引きづり過ぎとか言われるとほんの30分前のシーンに引きづり過ぎもあるかボケ、当然の残像だよ。

哪吒は本当に無垢な幼い子供です。哪吒の成長(学習)は相手にそのまま返っていると思います。 愛情を注いでくれた殷氏には愛情を返し、疑いを掛ける李靖には疑いを返す。 子供なので短絡的なところがあり、水棲霊獣王の怒りに哪吒の死を以て償う形をとります。かなしいことですが、結果を見れば哪吒の死は功を奏し、陳塘関と両親は守られました。 ミュージカルでもここはそんなに茶化さずにやっていたような気がするんですが、水棲霊獣王の第三子を演じる女性のアンサンブルさんのお可愛らしい声から放たれる荒げた関西弁に客席がクスッとなってしまうのが「ゲラ警察」の私には辛かったですね。まぁそれは勝手にやってるから良いんだけど。

二度と観たくないシーンをもう一つ挙げるんですが、 ミュージカル封神演義では殷氏が哪吒を「引っ叩く」という行為が追加されていました。 ちょっと衝撃的で私には本当に何一つ理解できませんでした。 *「なぜ殷氏は哪吒を叩いたのか」

原作では哪吒へ悲しそうな顔をしながらまっすぐと見て語り、諭すシーンです。 殷氏は「(息子は)話せばわかる」を貫き通しているのです。 いやもう、墓を暴いて埋葬されていた哪吒の本体を川に捨てるような父親を許せない哪吒の気持ちの方がよほど理解に容易いところですが、 それでも父親を憎み切れない、しかしやっぱり感情は収まらないと、子供らしく感情のコントロールを失い、それを取り戻させるのが母親たる殷氏の「やめなさい」という「言葉」なのです。

な~~~~~~んで叩いてしまったのかな~~~~~~本当にがっかりしました。

もしかして殷氏の感情の昂ぶりを表現していたのでしょうか。でもそれで子供を叩くの? 殷氏は哪吒をこの一発のビンタで叱りつけたのでしょうか。哪吒が母親に叩かれるほど酷いことをしたでしょうか。 ミュージカル封神演義という作品で追加されたこの「殷氏が哪吒を叩く」という行為が何を表現したかったのか、私には全く理解できませんし、怒りを覚えるほどです。

千秋楽では瀬戸くんには是非、「話してわからせる」を採用して貰いたいものです。

さて、哪吒のエピソードは殷氏の説得により終着します。しかし哪吒の悩みは解決しません「両親にとって自分はナニモノなのか」。 フジリュー版において、この悩みに太公望は「エディプス・コンプレックス」を説きます。 封神演義の面白さを語る上で欠かせないでしょう、「エディプス・コンプレックスについて語る太公望」。 ミュージカルにはこの一連のシーン単語は有りません、サクッとカットです。太公望はエディプスコンプレックスとして仙人界で学んでいないかもしれません。 このシーンはそのまま太乙真人の初登場シーンになるのですがミュージカルではもう既に登場も説明も済んでいるので丸ごと無かっ、、、、九竜神火罩は使いました。 ここはなぜかビジュアルの再現性に拘らなかったようで、あらけんの(もうあらけんって言っちゃう) 九竜神火罩は両肩に載せてるのですが、発動しても衣装に九竜神火罩付いてたままでした。 わかる、わかってる。そういう衣装だから仕方ないって。外れないって。 「九竜神火罩ーー!」て発動してるけど、九竜神火罩肩に載ったままですよ、ってのは無粋だってわかってます。 それでも、なんかこう、どうしようもないことは分かっていてもガッカリでした、 「風火輪はめちゃめちゃ再現に拘ってたのにここは拘らないのか」という残念な思いがどうしても湧いてきてしまって。 ミュージカル封神演義が大事にしようとしているものの温度感が理解できなかったです

哪吒のエピソードはこんな感じだったような気がします。 瀬戸くんの殷氏とか哪吒の風火輪遅いとか、嫌だった所ばかり覚えていて色々記憶違いしてるかもしれません。そうであってくれ。

瀬戸君の殷氏や風火輪に不満があるのでつい批判的なことを多く書いてしまったような気がします。

何度も書きますが、哪吒のエピソードは原作をうまくミュージカル化したセンテンスでした。何でしょうかこの二律背反。 ミュージカルとしては「テンポよくて良いね」というシーンなのに「2.5d作品としては全然全く良くないね」て。 テンポが良くて上手く纏まってて観やすくて「初見にも優しい」シーンになっていたように思います。 そういう意味で最もオススメのセンテンスです。 楽しかった人や削られた要素が気にならない方、瀬戸くんの殷氏が楽しい方はもう本当リピチケとか円盤とか買ってたくさん観て下さい。

哪吒のセンテンスの楽曲も1曲も全然思い出せないので、楽曲のインパクトはやっぱり無かったような気もしますけど。

まだ楊戩のこととか武成王造反のところのこととかvs四聖とか書いて残しておきたい気もするので気が向いたら書こうと思います。

かしこ♡